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2.Perfect Crime



 ―――あなた、怪盗キッドね?

 それは江戸川君がキッドの予告状につられて出て行き、雨が降ってきたので迎えに行こうと外に出た夜の事だった。
 先ほど彼からの携帯のメールに悔し紛れの一文がつづられていたので、今回の勝負は負けといったところか。予告されていた場所に向かおうとメンズ用の折り畳み傘を持って閑静な住宅街を歩いている時、その人は現れた。
 突然降り出した雨にうんざりと空を見上げる彼は、整った顔をゆがめて深くため息をついていた。その横顔が少し工藤新一に似ていると思ってしまった。
 なぜだろう。胸の奥がざわざわした。

「どうして分かった?」

 私がその言葉を発した途端、それまでその辺にいる普通の青年だった彼が、突然圧倒的なオーラを放ち、私はぞくりと背筋を震わせる。私も負けじと彼を見上げた。



 窓の外では雨が降り続けている。

「哀チャン、タオルありがとう」

 濡れた髪の毛を簡単に拭いた彼は、先ほどとは別人のように無邪気に笑った。

「…気安く名前を呼ばれたくないわ」
「えー? じゃあなんて呼べばいいの? 灰原?」

 ――灰原。
 その一つ一つの発音が耳に障り、胸が締め付けられた。顔だけじゃなく、声も似ていた。それは今日初めて会った黒羽快斗ではなくて、昔から知る人の、大人の姿の声だ。

「…哀チャン、大丈夫?」

 私にタオルを差し出しながら、彼は私の顔を覗きこむ。我に返った私は思わず後ずさった。

「だ、大丈夫よ…」
「逃げなくたって、何もしないよ。そもそも俺を家にあげたのは君だし?」
「そうね。今猛烈に後悔しているわ」

 私の言葉に彼は薄く笑った。
 私自身驚いていた。警戒心の強い私が、なぜ博士がいないにも関わらず彼を家にあげてしまったのか。確かに彼はびしょ濡れだったけれど、傘を貸す義理すらないというのに。
 先ほど、濡れた髪の毛をうっとおしそうに掻きあげながら雨を嘆く姿が、どこか重なってしまったのだ。今では姿を消してしまった高校生探偵に。

「ところで、この借りた傘は名探偵に持っていくものじゃなかったの?」
「ええ。でももう家に帰ったってメールが来たし、必要なかったみたいだわ」
「へぇ」

 彼は面白そうにほくそ笑んだ。

「頼まれたわけじゃないのにわざわざ届けに行こうとしていたんだ? 哀チャンは優しいね」

 その言葉に私は湿ったタオルをぎゅっと握った。

「別に、優しくなんかないわ」

 もし私に優しさというものがあれば、命を投げ出してでも江戸川君を元の身体に戻そうと躍起になっていただろう。それを出来ないのは、江戸川君の方こそ優しかったからだ。私が無茶をすれば彼が怒る。それに甘えて私は未だに解毒剤を開発できていなかった。

「ねぇ、あなた…」
「黒羽快斗。さっき名乗ったデショ?」
「…黒羽君。あなたはどうして怪盗キッドなんてやっているの?」
「なんでだと思う?」

 黒羽君はソファーに座り、挑発的に私を見上げた。私は一度口をつぐんで、再び開く。

「少なくとも窃盗行為を楽しんでいるようには見えないわね」

 私が言うと、黒羽君は小さく笑っただけで、何も答えなかった。その笑い方は怪盗キッドのものではなくて、黒羽快斗そのもののように、控えめで儚さを残していて、目を奪われた。
 彼なら聞いてくれるだろうか。私の願いを。

「ところで哀チャン、当然だけど俺の正体をチクったりはしないよね?」

 先ほどの憂いを帯びた表情から一変、少年のようにはにかみながら黒羽君は言った。私は少しだけ考え込み、答える。

「条件があるわ」
「条件?」
「あなたに江戸川君を守ってほしいの」

 気付けば江戸川君に出逢ってから三年が経っていた。私が言うと、黒羽君は目を丸くして私をじっと見た。その瞳に私の心の中の、誰にも見られたくない感情が見据えられていそうで怖くなる。それでも私は何かを繕うように微笑んだ。
 これが、怪盗キッドこと黒羽快斗との出逢いだった。