エピローグ

 いつか着続けていた闇に目立った非合理的な白いスーツとは真逆の黒いロングコートを羽織り歩いていると、見覚えのある二人の姿を見つけた。

「哀チャン」

 思わず声をかけてしまい、その瞬間しまったと舌打ちをする。今更馴れ馴れしく声をかけられるような関係でなかった事を思い出す。哀の隣からの視線が痛い。

「黒羽君」

 哀は驚いたとでも言うように目を見開いた。そうか、もう中学生が下校する時間なのだと哀とその隣の名探偵の制服姿を見て快斗は納得をした。

「久しぶりだね。元気? …江戸川クンも」

 声をかけてしまった手前、引き下がるわけにはいかない。快斗がコナンに視線を向けると、コナンはにやりと口元に笑みを浮かべた。

「先日はどうもありがとう、黒羽さん?」
「…何のことかな?」
「とぼけるなよ、怪盗キッド」

 その笑みは以前、もっと彼が幼かった頃に向けられたもので、久しぶりに快斗は背筋をぞくりと震わせた。快斗は参ったと意思表示をするように、手の平を上げて降参を示した。

「ご名答、名探偵。でも少々時間がかかりすぎたかな」
「まさか灰原の近くを平然とうろついてると思わなかったんだよ。おまえ、灰原に妙なことはしてねーよな?」
「妙って?」
「……もういい!」

 悔し紛れに捨て科白を残して歩いて行ったコナンの後姿を見て、めずらしいと快斗は思う。普段であれば非情にも論理的に相手を追いつめるのを特技としているはずの彼が、言葉足らずに負けを認めるなんて、よっぽど哀に惚れているのだろう。

「…とうとうバレてしまったわね」

 同じようにコナンの後姿を見つめていた哀が、肩をすくめるように小さく笑い、快斗を見上げた。
 出逢った頃に比べてずいぶんと柔らかい表情をするようになったと思う。出逢った頃の彼女はまだ幼くて、その小さな体で必死にコナンを守ろうとしていた。自分の傷には目も向けずに、ひたすら研究を重ねて、そしてその道を塞がれた彼女は再び沈み込んでしまった。
 どうして快斗が哀と一緒にいるのか、哀がいつもより静かに冷たく問い詰めて来た日を思い出す。確かに彼女の言う事は正しかった。快斗は本当に大切の人の傍にはいられなかった。怪盗キッドをしている以上、危険がまとわる自分の傍には置けなかった。だけど、それだけが真実ではない。
 哀がコナンの為に命を差し出す事も厭わないのを快斗は知っている。だから快斗は哀の傍にいることで、コナンに降りかかる危険から哀を遠ざけた。彼女の気持ちも無視して、そして快斗が守りたかった者の感情も無視して、自分本位に動いていた自覚はある。
 怪盗キッドになる前の無邪気だった自分を思う。変わらないものはあるはずだと信じていた。でも目の前にいる哀もいつの間にか身長が伸びて美しさに拍車がかかり、快斗を取り巻く環境も人間も、やっぱり変わっていった。それは時間と共に、太陽が東から西に移動するようにとても自然に。

 ―――あなたは本当のあなたになれた?

 彼女に正体を知られた時、ポーカーフェイスが崩れた理由が今になって分かる。彼女は最初から快斗の本質を見抜いていたのだ。

「江戸川クンと幸せにね、哀チャン」

 偽物とはいえコイビトとして過ごした時間を快斗は忘れない。快斗が言うと、哀は言われ慣れていないのか最初からそういう性格なのか、少し嫌そうな顔をして快斗を睨み、ため息をついてから、

「私達を守ってくれて、ありがとう。黒羽君」

 見たこともないほどの穏やかな表情を快斗に向けた後、コナンを追いかけるように駆けて行った。

「…それもとっくにバレてたんだな」

 怪盗キッドにとって、二人の存在は脅威でもあり、救いでもあった。セーラー服の後姿を見ながら快斗は自嘲する。仮面をかぶっていたのは哀も同じだった。それを剥がせるのはきっとコナンだけだ。
 この世界には変わらないものなんてない。だからこの世には不幸と幸せが混在していて、人々の求める愛情は儚いからこそ意味があり、輝きを持つのだ。

「さよなら、哀チャン」

 背を向けて走って行った哀がコナンに追いついてその手が繋がれたのを見届けた快斗は、黒いロングコートを翻し、二人とは真逆の方向へと歩き出した。




fin.