青い空に出逢えた


 運動場で生徒の高揚感高まる声と教師の鳴らす笛の音が響き、空の下へと散った。
 強い日差しの下、秋を感じさせる風が哀の前髪をふわりと揺らす。

「灰原さん」

 試合が終わった光彦が手で汗を拭いながら哀のもとへと駆け寄った。

「円谷君、決勝戦進出ね。おめでとう」

 毎年行われるクラス対抗の球技大会で、光彦はバレーを選択し、見事チームメイトと勝ち進んでいた。哀が微笑むと光彦は照れ臭そうに笑い、はっと思い出したように真顔に戻った。

「そんなことよりコナン君が見当たらないんです。灰原さんなら心当たりあるかと思って」

 光彦の言葉に、哀はまたか、とため息をついた。
 空を見上げれば、見事なほどの群青の空。悲しい事に心当たりならあるのだ。光彦はよく分かっている。

「仕方ないわね。探してくるわ」

 哀が言うと、光彦は申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、ほっとしたような顔で微笑んだ。それを横目で見ながら、哀は運動場から校舎へと向かった。
 生徒の歓声と、再び鳴り響く笛の音、試合開始を知らせる銃声。
 平和なはずの光景は組織にいた頃の自分を少しだけ思い出させて、胸が痛い。

 校舎に入ると誰もいないせいでいつも以上に足音が響いた。哀は教室のある廊下に耳を澄まし、人がいないことを確認をして迷わず階段を昇った。人の気配を感じる力はずいぶん弱くなってしまったけれど、今でも役に立つことはある。
 階段を昇り続けて最上階、滅多に開けることのない重い扉を開けると視界が変わり、姿を見せた眩しい太陽に哀は目を細めた。ようやくこの平穏を手に入れたのだと思った。こうして空の模様を確かめることが出来るくらいに。
 視線を移せば、フェンスのすぐ傍でジャージ姿のコナンがコンクリートの上に仰向けで寝そべっていた。

「江戸川君」

 その声にコナンは起き上がり、その床にあぐらを掻いたまま哀に視線を向けた。

「何の用だよ」
「それはないんじゃない? 仮にも球技大会中よ」

 哀が言うと、コナンはしかめ面のまま空を見上げた。哀もコナンの隣に腰を下ろす。コンクリートの冷たさがジャージをすり抜けて皮膚へと伝った。どんなに強く太陽の光が射しこんでも、季節には逆らえない。
 数年前の組織壊滅と同時にもう元の姿に戻れなくなったと知って更に数年。小学生の間はコナンは持ち前の無邪気さでそれなりにその生活を楽しんでいたように見えたが、中学生になってから見せる表情が少し変わった。特に今日のような行事がある日には、黙り込んで憂いを帯びた瞳で、高揚感に包まれた空気に馴染まないように一線を引いてそれらを傍観していた。
 その理由を哀は知っている。

「円谷君のチーム、決勝戦に進出していたわよ」
「…俺のバスケは応援してくれなかった癖に、光彦のは応援したんだ?」

 低い声で拗ねながら、コナンは哀の肩にもたれかかる。少し湿った体温が肩に触れ、哀はため息をついた。

「仕方がないでしょう。あなたの試合は私と時間が重なってしまったんだもの」

 意外なところを拗ねるコナンを許しそうになって、哀は思わず笑ってしまう。

「でも他の女の子達があなたの活躍を見てはしゃいでいたのは聞いているわ。相変わらず注目を浴びるのは上手いのね」
「別に」

 機嫌を直さないコナンはそのまま寝転び、哀の膝の上に頭を乗せた。いわゆる膝枕というものだ。哀はコナンの前髪に触れた。試合の後なので、朝にセットしたはずの髪はいつもより無造作に崩れている。

「江戸川君、調子に乗りすぎよ」

 前髪を触れる優しい手つきとは真逆な事を言う哀をお見通しなコナンは、少し意地悪く笑い、

「たまにはいいじゃん」

 そのまま目を閉じた。
 哀は再度嘆息し、視線を上へと向ける。なんて恨めしいほどの青空だろう。
 誰にも言えない秘密を抱えた二人でこうして寄り添うけれど、心は決して寄り添えていないことを哀は知っている。きっと彼は今日もバスケットボールをドリブルしながら思い出していたはずだ。十年前の自分の姿を。
 同じ場所と季節の匂いは、記憶に刺激を与えてより鮮明に思い出させる。十年前、純粋に楽しんだ中学校生活の中で何を考え、誰を想っていたのか。嫌でも脳裏に触れるはずだった。 

「灰原」

 青空の中をゆっくりと流れていく薄い雲をぼんやりと目で追っていると、下から響いたコナンの声に呼び覚まされた。視線を下に向ければ、仰向けに寝転がっているコナンの透明な瞳の色とぶつかる。
 コナンは程よく筋肉のついた腕を伸ばし、哀の頬に触れた。

「大丈夫か?」
「…どうして?」
「おまえ、日の光浴びすぎると気分悪くなるだろ? 教室入るか?」

 相変わらずの洞察力を褒めるべきか、恨むべきか。
 コナンはゆっくりと起き上がり、もう一度哀の頬に触れる。そして先ほど哀がしたように髪の毛に触れ、そのまま哀を抱き寄せた。哀は体勢を崩して、コンクリートに膝をついたままコナンの肩に顔を埋める体勢になった。バランスを崩さないように哀もコナンの背中に手をまわす。
 ふわりと鼻をかすめた汗の匂いすら愛しく感じる。コナンが何を思って哀をこうして抱きしめるのか、哀には分からない。彼のことを何でも分かっているつもりになっていても、彼の心の行き先は見えないままだ。

「大丈夫よ、ありがとう」

 哀はゆっくりと身体を離して微笑み、立ち上がった。するとコナンの汗ばんだ手が哀の指を掴む。コナンは起き上がろうとせずに、憮然としたまま哀を見上げている。

「江戸川君。あなたは大丈夫なの?」

 いつの間にか大きくなったその手に引かれるように、哀は再びしゃがみ込んでコナンの瞳を覗いた。青みがかったその瞳を好きだと思ったのは、もう何年前のことだろう。
 哀の言葉にその瞳が揺らいだのを哀は見逃さない。コナンは目を伏せ、もう一度哀に手を伸ばした。抱きしめる、というより縋り付くように、哀をその腕に閉じ込める。

「…もうちょっとこのままいさせて」

 いつになく弱った彼を放っておけたらどんなに楽だろう。だけど次の試合までまだ時間はあるはずだと考えながら、今だけだと言い訳して哀も無言のままそれに応えた。
 球技大会を終えた明日になればまた普段のコナンに戻るだろう。それでも時には、その心の道標を探しながらこうして寄り添うのも悪くない。



タイトルは小松未歩の曲から頂きました。
(2014.9.13)