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「言うなれば、ミスターBといったところでしょうか」

 スマートフォンに送られてきたのは、一枚の写真だった。
 袴姿のコナンと振袖の哀、場所は呉服店か何かだろうか、背後にも色とりどりの着物が飾られていた。

「大丈夫だ……」

 思わずつぶやき、顔をあげた。隣に座る元太と目の前に座る歩美と目が合い、光彦は力強く言う。

「大丈夫です。コナン君と灰原さんは、必ず帰ってきます」

 送られてきた写真と共にコナンのメッセージが吹き出しに収められていた。

 ――心配かけてごめん

 写真に映る二人は、カメラ慣れしていない子供のような表情を浮かべている。



 テレビ画面が天気図に変わった。朝の情報番組内にある、お天気コーナーだった。

『南岸低気圧により、関東地方のお天気は崩れそうです。都内でも雪が降る予報が出ていますので、お出かけの際はじゅうぶんお気をつけて』

 光彦はテレビを視界の端に入れながら、学校指定のネクタイを締めた。天気予報の言う通り、窓の外はグレーがかっている。
 ブレザーを着て、コートを羽織る。マフラーを巻きつけ、キッチンにいる母親に挨拶してから光彦は外に出た。
 朝の日差しのない空の下、空気はつんと冷たかった。鼻先が冷えていくのを感じながら、今日の一時間目がリーディングである事を思い出し、当たらなければいいな、なんて思う。小さなターニングポイントをいくつも超えつつも、当然のように存在する日常の一コマ。
 通学路の途中にある街路樹は、すべての葉を落として枝がむき出しになっていた。そういえば哀が転校してきた頃には、アスファルトの上には落ち葉が秋風によって音を鳴らしていたのに、今ではその影もない。
 光彦はコートのポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップする。コナンからは一枚の写真と一つのメッセージ以外は届いていなかった。光彦も既読マークを付けただけで、何も返信をしていない。どこにいたっていい。何をしていたっていい。二人が一緒にいるのであれば、二人が幸せであるのであれば。

「あれ……?」

 帝丹高校の正門に近付き、スマホから顔をあげると、見覚えのある後ろ姿が二つ、肩を並べて歩いていた。
 心が波打ち、光彦は息を吸い込んだ。冷たい空気が気管を冷やし、苦しさが勝っても足は勝手に走り出す。

「おはようございます!」

 その声に振り向いた二人は、駆け寄る光彦を見てふっと笑みを零した。

「おはよう、円谷君」
「光彦、おはよ」

 手に持ったスマホに映った写真と同じ表情で、コナンと哀は少々気まずそうに微笑んだ。



 テーブルの上には写真が散らばっている。

「わあ、懐かしい!」

 写真を見ながら声をあげたのはピンク色のワンピースを着た歩美だ。
 季節が進み、学年末試験を終えた三月の午後。阿笠邸のリビングに、久しぶりに少年探偵団の五人が集まった。

「よくこんな写真を残していたなー」

 歩美と同じようにラグの上に座っている元太も、一枚ずつ丁寧に写真を手にとっては感心をしている。

「アメリカに住んでいる工藤夫妻の家に置いてあったんだ。大事なものだから汚すなよ」

 写真の持ち主であるコナンは、涼しい顔をして哀の淹れたコーヒーを飲んでいる。

「でもよー、なんでコナンの写真が工藤のおじさん達が持っているんだ?」

 元太の鋭い指摘に光彦はひやりとするが、コナンは何食わぬ顔で手を伸ばし、写真を手に取った。

「それより元太。何だよこの写真、どう見ても食べすぎじゃねーの?」
「あら、本当。でも楽しそうだわ」

 デカ盛りを目の前に笑う元太が映っている写真を、コナンの隣に座っている哀も覗き込んだ。

「これっていつの時のだっけ?」
「小五の時ですかね。オープンしたばかりのバイキングに、博士に連れて行ってもらったんですよ」

 テーブルの上には光彦が持参したアルバムも置いてあった。
 本棚に眠っていたアルバムを引っ張り出したのはずいぶんと久しぶりだった。思い出を辿れば失ったものを突き付けられる気がして怖かった。しかし、こうして五人集まって浸る思い出には、面白かった事や楽しかった事が多くあった。
 五人集まった時にしか生まれない高揚感に包まれた事で、光彦はようやく過去を許容できる気がした。

「灰原さん、この写真を見て下さい。コナン君の変顔、面白いですよ」
「おい、光彦」

 哀の隣に座って写真を見せようとする光彦に、哀の向こう側からコナンの低い声が聞こえた。

「前から思っていたんだけど、おまえ、やたらと灰原と親しくねーか?」

 仏頂面のその表情は、以前にもよく見たもののような気がして、光彦は思わず声に出して笑った。哀の隣という居場所を我が物のようにしているコナンを、よく知っている。安堵に浸りながら、光彦もマグカップを持ってコーヒーを啜った。

 ――君は、いったい誰ですか
 ――工藤新一

 二年前の夏、花火が鳴り響く空の下でうなだれたままコナンは言った。

 ――灰原も俺と同じだ。おまえらにも嘘をついて、あらゆることから逃げて、それであいつだけ……

 そのまま意識を失ったコナンに慌てた光彦は、小五郎を呼んで病院に運んだ。その途中でのコナンの言葉を、光彦は忘れられない。

 ――やっと自由にしてやれたと思ったのに

 うなされるようにつぶやいたコナンの言葉と真実を、光彦は自分の内側に隠す事に決めた。縋りついたコナンを振り払ってしまった罪悪感と一緒に。 

『ただいま入ってきたニュースです』

 午後のワイドショー内にて、速報が流れている。数年前に起きた殺人事件の容疑者が逮捕されたという。思わず画面に釘付けになっている光彦の前を、影が横切った。

「ほれ、おやつじゃぞー」

 白衣を着た阿笠博士がクッキーやスナック菓子を乗せたトレイをテーブルの端に置いた。

「やったー! 博士、ありがとな!」
「元太君、その前に写真を片付けなきゃ」
「博士、お菓子を買うのはいいけれど、どさくさに紛れて博士も食べたらだめよ」

 あらゆる声と共に散らばった写真が整理されていく。光彦も一緒になって写真を束ねていた時、浴衣を着た哀と私服姿のコナンが視界の端に映った気がしたが、手の動きをそのままに束ねてしまってもう見えない。
 彼らはいったい何者だったのだろうか。

「光彦」

 いつの間にか隣にいたコナンが光彦を呼ぶ。

「写真はこの封筒に入れておいてくれ」

 封筒を渡してくるコナンの瞳は、光彦に懐かしさを誘った。今はもう、目の前にいる彼が誰なのか迷わない。
 コナンはこれからも不自由をまとって生きていくのだろう。世界の裏側と反復しながら、彼にしか分からない苦しみを抱えながら人生を歩いていくのだろう。

「江戸川君、円谷君が持ってきたアルバムも見る?」
「おう」

 だけど、哀がいるから大丈夫だ。そして同じように、哀も。
 欠けているものを補うように肩を並べてアルバムを捲る二人の姿に安堵し、光彦はクッキーを頬張った。大きな窓から見える空は、春の気配が舞っている。



(2023.5.6)