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 事故から三か月後に米花町に戻った後も、コナンは違和感を拭えずにいた。
 例えば生活環境について、なぜ自分が毛利家に居候しているのか。そして、小五郎の娘である毛利蘭に関する記憶もどこか曖昧で、霧に包まれたような曖昧さがいつまでも気味悪く浮いているようだった。
 その正体にできるだけ近づかないように表面上では問題を浮き彫りにしないように過ごしたまま一年が経った中学三年生の夏休み。
 コナンは、欠落のない本当の自分というものに遭遇した。

「コナン君!」

 強い日差しを浴びた米花町内の歩道で、背後から声がかかった。光彦の声だった。振り返ると、涼しそうな淡いブルーのシャツとデニムパンツを合わせあ姿の光彦が、ほんのり汗を浮かべて歩いてきた。

「こんにちは。コナン君、どこかにお出かけですか?」

 コナンの持つトートバッグにちらりと視線を寄越しながら問いかけてきた光彦に、コナンは自嘲した。

「図書館に行くだけだよ」
「奇遇ですね。僕もなんです」

 額に浮かんだ汗を拭いながら笑う光彦を見て、コナンはトートバッグの紐をぎゅっと握りしめた。
 昨日の夜から、すでに実家を出ている毛利蘭が帰省をしているのだった。それに対してどこか居心地の悪さを覚えたコナンは、図書館で勉強すると逃げるように家を出てきた。
 小五郎に対してもそうだが、特に毛利蘭に対してはどういう態度をとればいいのか分からない。というよりも、幼い頃から世話になっているはずなのに、彼女とのエピソードをほとんど思い出せなかった。
 しかし、それはコナンにとってさして問題ではない事のようにも思えて、思考を先送りしているのが現状だ。記憶に欠落があるという事実自体が問題である事を分かっているはずなのに、コナンはずっと同じ場所で足踏みをしたままだ。
 光彦と並んで図書館に向かい、自習スペースで宿題を広げながら、コナンはその合間に新聞コーナーへと足を運んだ。かつては事件の遭遇に興奮を覚え、真実を導き出していた時期もあったと記憶しているが、今はその感情も薄れている。それでも、世の情勢を知るためにファイリングされて立てかけられた本日の朝刊を手に取ったコナンは、一面を見て眉を潜めた。

 ――工藤新一が解決した難事件に進展あり

 見出しに胸がざわついた。十年近く前に解決された難事件の犯人が別の事件にも関わっており、その関連性について警察が調べている、といった記事だった。動揺を覚えたのは痛ましい事件の内容に対してではない。

「コナン君?」

 背後からの声に、コナンはびくりと肩を震わせた。声をかけた光彦はコナンの様子に眉をひそめ、コナンの手元に視線を移した。

「ああ、その事件……」
「知っているのか?」
「僕達が幼い頃の事件だから、リアルタイムで知ったわけではないですけれど、でも印象に残っていますよ」

 静かな図書館で声を潜める光彦が、「それに、」と言葉を続けた。

「新一さんが解決した事件ですし」

 やたらと親し気な呼び方が、先ほどから自分を襲う動揺に突き刺さり、コナンは生唾をごくりと飲み込む。

「知り合いなのか?」

 平然さを取り繕いながらコナンが訊ねると、光彦はますます眉根を寄せた。

「もしや、それも忘れてしまったんですか?」
「何をだよ……?」

 訊き返しながら、コナンは予感していた。自分の中にはまだ欠落が転がっている事を。

「工藤新一さんは、コナン君の親戚の方でしょう?」

 これまで避けていた疑問が、コナンに押し寄せてきた。



 自分の家族構成も、これまでの出来事も、何一つ思い出せない。
 図書館にあるパソコンで工藤新一について検索をかけてみたら、あらゆる記事がヒットした。工藤新一はコナンの親戚だと光彦は言う。だけど、違和感が積み上がっていくのはなぜだろう。
 夕方の六時すぎ、宿題である教科書類をトートバッグに詰め込んだコナンは、光彦と一緒に図書館を出た。夏の夕空は明るさを保ったまま、夜の訪れを許さない。
 ところどころで浴衣を着た女の子達とすれ違い、「そういえば」と光彦は切り出した。

「今日は米花町のお祭りですね」

 光彦のひとりごとにも特に感慨を浮かべる事もなく、生返事をしながら自宅に向かって歩いていると、ふとどこかから地響きのような音が鳴った。放物線を描くように暗くなり始めた空に、鋭い光が舞い散っていく。

「あ、花火だ……」

 いつの間にか暗くなっていた夜空に光が舞っていく。視界を照らす光達に、動悸を覚えた。

「綺麗ですね」

 光彦の感嘆など耳に入らない。上手く息を吸い込む事ができず、コナンはシャツ越しで胸元を掻きむしった。
 欠落した部分は空洞となり、自分を飲み込んでしまった。でも、そこにはあらゆる真実が眠っている。大切だった幼馴染、優しい母親に聡明な父親、謎に魅了された過去の自分、そして。

「……コナン君?」

 コナンの様子に気付いた光彦が、怪訝な声でコナンを探る。
 自分を覆う蒸した空気にどこかから火薬の匂いが流れ込み、コナンは咳き込んだ。呼吸が苦しい。

「光彦……」

 気付いた時には、コナンは光彦のシャツの袖を掴んでいた。様々な情報が渦巻き、根底を縛り付けていく。
 自由になれたと思ったのに。

「助けて」

 遠くからは再び地響きが連なって聞こえた。



(2023.1.19)

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