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3.ふたりだけの秘密



 高校は冬休みに入り、テレビの天気予報ではある地域の降雪を伝えている。

「哀君、今日はどんな予定なんじゃ?」

 再び身を置いている阿笠邸の家主である阿笠博士が、朝のコーヒーを淹れながら哀に訊ねた。
 カフェインの香りを感じながら、哀はダイニングチェアに座って窓の外に視線を向ける。テレビの中と同じ空で繋がっている事が不思議になるくらい、東京の空は快晴だ。

「吉田さんと図書館で勉強する予定よ」

 大雪警報が出ているのは、いつかの夏を過ごした地方都市だった。

「博士」
「なんじゃ?」
「……何か変わった事はない?」

 哀が訊ねると、博士は「大丈夫じゃよ」と笑った。
 阿笠博士は、三年前の一連の出来事について知る唯一の人物だ。哀が消えた理由も戻ってきた理由も全てを知ったうえで、もう一度哀をこの家に置いてくれた。それだけではない、博士は哀の為に作った部屋もそのまま残してくれたのだ。
 テレビに映る地方都市は、夏とはずいぶん姿を変えているようだった。哀はコーヒーを飲み込む。心地のよい苦みが身体の中に広がっていく。



 行ってきます、と博士に告げて外に出ると、つんとした冷気が鼻に触れたものの、空から降る日差しが思いのほか温かかった。大雪で交通麻痺が起こっている地域もあるというのに、気候の差に今更ながら驚く。
 図書館までの途中にある交差点で信号待ちをしている時、トートバッグに入っているスマートフォンが震え、見てみると歩美からのメッセージだった。急に祖母の家に行かなければならなくなったという歩美からの今日のキャンセルへの詫びに対して返信を打ち、哀は交差点の信号をぼんやりと見つめた。
 引き返す事は簡単だ。でも、歩美と会うと言った時の博士の安堵した表情を思い出すと、そうするわけにはいかなかった。
 やがて信号が青に変わり、哀は横断歩道を歩く。左折しようとする黒いボックス車が横断歩道の前で停車し、哀は小走りで渡った。何の変哲もない黒い車を、今でも少し怖いと思う。あの窓が開いたらどうしようという思いは当然杞憂で、ボックス車は哀の横断を待ってからゆっくりと交差点を曲がっていった。
 米花町の図書館に訪れるのは久しぶりだった。米花町に戻って来てから初めてだ。十年前に起こった事件を機に建替えられた図書館は今でも綺麗で、トートバッグを肩にかけ直した哀が図書館の外観を見上げた時、

「灰原?」

 そこにはコナンが立っていた。



 図書館内には、読書するスペースと勉強できる自習スペースが設けられている。哀は自習スペースで冬休みの宿題を開く。自習スペースは六人掛けの大きな机が並べられており、哀と同じテーブルの対角線上の席にコナンが座っていた。
 持ち込んでいるタブレットを睨んだかと思えば、調べ物でもしているのか席を外す。その様子を視界の端に捕らえながら数学の因数分解を解いていると、机で開いている問題集にふと影が落ちた。思わず振り返ると、端に座っていたはずのコナンが後ろに立っていた。

「何、どうしたの?」

 突然の事だったので、思わず昔と同じテンションで答えると、コナンは一瞬目を見張った後、すぐに視線を落とし、口を開いた。

「昼飯、何か持ってきてんの?」

 静けさの漂う周囲に気遣った声で訊ねられ、思わず首を横に振ってしまった。

「いいえ……」
「なら、一緒に食おうぜ」

 まるで旧友のような表情で、コナンが笑った。



(2022.12.11)

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