Letters 3-7

 阿笠邸に帰ると、博士が簡単に手料理を作ってくれていた。

「新一君も呼ぼうかと思ったんじゃが、仕事が忙しいみたいでの」

 がっかりしている博士の言葉に、余計なことをしないでよという言葉が頭をかすめたが、それは志保と新一の問題で博士に言ってしまえばただの八つ当たりだと分かっていたので、ぐっと科白を喉に飲み込んだ。
 志保はケーキを冷蔵庫に入れながら、テーブルに料理を運ぶ博士を見た。いつの間にか小さくなって丸くなったその背中をぼんやりと見つめる。この家で過ごした半年間からの時間の流れを感じた。

「博士。工藤君ってアメリカに行くの?」

 志保が言うと、博士は手を止めた。

「そうみたいじゃの。とは言っても、ワシも毛利君から聞いて驚いたんじゃ。新一め、ワシにも何の相談もせん」

 言葉では怒っていても、博士だって分かっているのだ。新一は自分の行く先を逐一博士に報告するような年齢でもない。全て自分で決めて大学に進学し、探偵事務所を設立した。それが彼の誉められるべき行動力であり、工藤新一という人間だった。
 博士の情報も毛利探偵事務所からだ。
 新一は、直接蘭に話したのだろうか。蘭には相談したのだろうか。今でも定期的に会っているのだろうか。
 そんな思考に志保は落胆する。
 あの悪夢を思えば、それは喜ぶべき事だった。新一は確かに蘭を想っていた。別れた時の落ち込みぶりはさすがの志保も心配を隠せなかったほどだ。
 しかし、どこかで志保は自惚れていたかもしれない。あんなに自惚れないように気をつけていたのに、資料が足りなければすぐにメールをくれるような彼は、何でも自分に相談すると自負していた。こんな風に勝手に離れていくなんて思ってもいなかった。
 裏切られた気分だ。新一にではなくて、自分自身に。
 博士と食べる料理には確かに温かさがこもっているのに、一人で食べる時よりも冷たく感じた。

 ああ、だけど、志保も同じことをしていた。六年前に、宮野志保として阿笠邸を出ていく時に、たった一通の手紙で姿を消した。彼のしていることを責めることはできない。




 組織を壊滅し、命からがら薬のデータを手に入れた。それを元に哀は解毒剤を研究し、ようやく完成させた。それが六年前の秋の初めだ。
 解毒剤の元となる化学式を組み立てながら、ただひたすら新一を蘭の元へ還すことを考えた。それと同時に、どうしようもない不安に駆られた。宮野志保に戻ったところで自分には居場所なんてない。両親もいない、姉もいない、組織を抜け出す時に頼った工藤新一にすがれるわけがない。
 それでも前に進まなければならなかった。そしてその胸の内を吐き出すように、一通の手紙を書いた。自分の戻る場所を断つのと同時に新一への感謝の思いを綴る。組織からの逃亡の身でありながら、初めて人間らしい生活を与えてくれた彼への言葉を文字にすることは難しく、何度も何度も書き直して、結局とても簡潔な三行におさまった。

  いつまでも彼女とお幸せに。

 それを書いた瞬間、これまで堪えていた涙が溢れた。本当に失ってしまうのだと実感する。彼の無邪気な笑顔と少年探偵団と過ごした温かい日々を懇願した。それでも彼を手に入れる資格など自分にはない。涙を拭いながら、いつかに残した言葉に誘導すべく、追伸も残してみる。こんな陳腐な暗号にもならない暗号で、彼は辿り着くだろうか。見つけられなくてもいいと思う。むしろ永遠に手紙が眠るほうが本望かもしれない。
 彼の名前の由来となるコナンドイル集にその手紙を挟んだ。
 解毒剤を服用した新一が高校生活に戻っていく。その背中を見つめながら、こみ上げる胸の痛みを抑えながら、これ以上彼の人生に関与しないことを覚悟した。
 誰よりも、新一が幸せになることを願った。




 二日後、新一は志保には何も告げないままアメリカに旅立ったと博士から伝えられた。