その数日後、志保の携帯電話に新一からメールが届いた。
あの手紙を見てから心が乱されてしまったのに、更に何を言おうというのだろう。冗談でしたと伝える文言でも別にがっかりなんてしない。そもそもこのデジタルな時代に置き手紙をする事自体が甚だしい。そんなネガティブ要素を考えられるだけ考えて、志保はようやくそのメールを開けた。
そこには次の週末の日付と、羽田空港到着時刻が機械的な文字で記されていた。
つまり、新一が帰国する時間だろう。これをわざわざ送信してきたということは、迎えに来いということだろうか。こんな時にでも人使い荒い彼に呆れながら、離れた距離でも自分を頼ってくれることに志保は嬉しくも思ってしまう。重症だ。
その指定された日、志保はレンタカーで空港に向かい、国際線の出口のゲート前でぼんやりと立っていた。
早めに着いてしまったせいで、新一が乗っているものより早い飛行機が何機も到着し、浮足立っている外国人や疲労がうかがえる日本人が大きな荷物を持って目の前を通り過ぎていった。
もともと多くは語らない志保は、まず初めに何を問いだたそうか考える。―――私に黙って行ったくせに迎えに来いだなんて図々しいにもほどがあるわ。気持ちとは裏腹な言葉が頭をかすめた時、
「宮野!」
アメリカ帰りだとは思えないほど少ない荷物を持った新一が、満面の笑みで志保に手を振った。
「迎えに来てくれてサンキューな」
久しぶりに会う彼に、柄にもなくどぎまぎしてしまった。
「…そんな少ない荷物なら、別に私がここまで来る必要なかったんじゃない?」
「そんなつれねーこと言わずに、俺ん家まで乗せてってよ」
相変わらずな新一に、志保もいつも通りポーカーフェイスを保ってため息をつくことが出来た。いつもの調子で会話が出来ることに安心していた。このままあの手紙もあのキスもなかったことにしたかった。
新一がアメリカに行っていた期間はおよそ一カ月半だ。
十二月初めに出席した某パーティーで会った人間に頼みこまれた事が発端だったのだと運転する志保の隣で新一は話した。分野が新一の専門外だったことや、場所が国外なのもあって渋っていたのをそれでもプロかと咎められたらしい。―――大人って厳しいよな。酔った新一の言葉の意味を今になってやっと分かった。
工藤邸に着いて、志保は車を停める。
「宮野、あがっていけよ。母親からもらったコーヒー豆淹れるからさ」
「………」
正直のところ、志保は新一ほどコーヒー通ではない。しかし新一の得意げな顔に、思わずうなずいてしまった。
新一の家にあがるのは久しぶりだった。これまでも何かのお礼ついでにコーヒーをごちそうになることはあったけれど、ほんの数回だけだ。
家に入ると相変わらずの生活感のない空気が漂う。志保はコートを脱いでソファーに置き、その隣に遠慮がちに座った。冬の日差しが柔らかく射しこみ、広がるリビングの光景は数年前に手に入れた平穏そのものだった。
「ご両親にも会ってきたのね」
帰宅してから普段着に着替えた新一がキッチンでコーヒーを入れる。次第にカフェインの香りが広がってきた。
「ああ。最近会ってなかったしな。今度おまえも一緒に行こうぜ」
「…なんで私が行かなくちゃならないのよ」
新一は湯気の立つコーヒーカップを志保の前のテーブルに置いた。
「あれ? 服部に本返してもらった時に見ただろ?」
「…何を」
「手紙」
志保は表情を固めたまま目線だけを動かして新一を見た。新一は何事もない様子で、そのまま志保の隣に腰かけて、コーヒーを啜っている。
「何も言わねーって事は、読んだんだろ?」
「…何の悪い冗談かと思ったわ」
「冗談なんかじゃねーよ」
カップをテーブルに置いて、新一はまっすぐに志保を見つめた。吸い込まれそうになる眼差しに、志保はまた金縛りにあったような気分に陥る。
「なぁ、宮野」
そんな志保に新一はあの時と同じように微笑んで、志保の柔らかい髪の毛に触れた。
「結婚しよう」