Letters 1-1

 まだ少し身体が重く感じる。これまで見ていた風景が小さく見えた。新一は大きく呼吸をする。酸素は自然に肺に入り全身へと駆け巡る。
 ほのかなカフェインの香りを嗅ぎとり、阿笠邸の吹き抜けの二階の窓から一階のリビングに視線を移せば、灰原哀がマグカップを二つ手に持って新一を見上げていた。
 新一は階段を下りて、哀の前に立つ。つい昨日まで同じくらいの身長だった少女とは、しゃがみ込まないと目線が合わない。

「サンキュ、灰原」

 新一は笑顔でそのマグカップを受け取った。

「誰もあなたに淹れたとは言ってないじゃない」
「可愛くねーなぁ」

 相変わらずの彼女に笑いながらコーヒーを口に含んだ。
 季節は秋になっている。この半年の間に信じられないような出来事を経験し、自分が自分でなくなるような思いもしたけれど、でもようやくそれも終わった。
 哀が作ってくれた解毒剤のおかげでもある。憎まれ口を叩いても、その恩を新一は忘れない。

「体調は変わりないの」
「ああ」
「そう」

 ほっとした様子で哀はソファーに座り、新一と同じようにコーヒーを飲んだ。その小さな少女の姿を見て、新一は思わず口を開く。

「おまえは?」
「え?」
「おまえは、戻らねーのか?」

 沸いた疑問を新一が問うと、哀は一瞬目を丸くし、そしていつもの表情に戻りコーヒーに視線を落とした。

「心配しなくても、近いうちに解毒剤飲むわ。あなたは早く元の高校生活に戻りなさい」

 新一が解毒剤を服用して、元の姿に戻ってもうすぐ二十四時間が経つ。念のために一晩阿笠邸で過ごしたが、明日からは高校にも通う。何かあれば阿笠邸にいる哀にいつでも連絡するように、と耳がタコになるほど聞かされていた。
 しかしこれまで試作品しか作らなかった彼女がはっきりと「完成した」と伝えに来た時から新一は確信している。これは成功したものであり、よほどの事がなければ体調が激変するようなことはないだろう。
 新一は少ない荷物を持って阿笠邸を出た。振り返れば玄関口に哀が立って、先ほどと同じように新一を見ていた。

「灰原」

 呼びかけると、哀は首をかしげる仕草をした。

「ありがとな」

 哀が玄関の外まで新一を見送るのは珍しい。まだ体調の心配でもしているのだろうか。だけど新一自身そこに心配は残っていなかったし、いつものように哀に笑顔を向けると、哀は少しだけ口元を緩めて手を振った。
 無表情を貫く彼女のその挨拶にふいを突かれたのと同時に、足元から脳天にかけて嫌な予感が突き抜けた。しかしすぐに思考が逸れ、新一は手を振り返してから工藤邸へと帰った。
 明日から始まる元の生活に胸を焦がしながら。