2-3

「江戸川君も灰原さんも、普通のご家庭じゃないんだもの」

 コナンと呼び出された進路指導室で、担任の若い女教諭がぽつりとつぶやき、それまで息を潜めるように沈黙していた哀は息を飲んだ。
 十一月も終わる日の放課後、担任から呼び出しを受け、進路指導室に呼び出された。進学先は帝丹高校で提出しているが、自分の成績では問題ないはずだし、素行についても咎められる要素は見当たらない。部屋には男性教諭も立っていて、重々しい雰囲気に委縮するように哀は隅にあるパイプ椅子に腰かけていた。
 ドアが開くなり、灰原? と素っ頓狂な声が響き、コナンが部屋に入って来て安堵したのもつかの間、どこから噂を聞きいれたのか教師二人に同棲について咎められた。それについて、何でもない事のようにコナンが嘘をつく。帳尻を合わせて、嘘を重ねて、不可能なトリックを遂行して完全アリバイを守る犯人のように。
 そこで吐かれたのは、担任の言葉だった。
 普通って何。哀の脳に浮かんだ疑問はそれだった。今は自分達の命を脅かす組織は近くにいない。確かに偽っている事項は多いが、灰原哀としての生活をそれなりに送っているつもりだった。
 二人が可哀想だわ、と追い打ちをかけるように続いた担任の言葉にかっと頭に血がのぼった。



 組織を潰した後、本当は元の身体に戻る予定だった。
 薬のデータは手に入ったものの二年も時間が経ってしまった事実は、身体的にも社会的にも負担が出てしまう事は想像に容易かった。コナンは首を振り、江戸川コナンで生きて行くと言い張った。頭のネジが外れてしまったかのような発言に、哀は猛反対した。泣きながら、諦めないとか可能性はあるとか、根拠にもない言葉を並べて、コナンを責めた。工藤新一に戻っても戻らなくても、コナンに残ったのは険しい人生だ。彼は一生偽りと共に生きて行くのだ。
 それをなだめるように、コナンは何度も哀を説得した。葛藤が溢れた中、時間と共にそれらの出来事を哀の中で消化して、ようやく手に入れた平穏で幸せな日々は、普遍的なものだと思っていた。
 好きな人に、好きだと言ってもらえた。それが哀にとってどれだけ奇跡的な出来事だったか、担任には分からない。誰にだって理解できるものか。
 温かいコナンの手に引かれて、気付いた時には進路指導室の外を歩いていた。無言のまま家に向かうコナンの大きな背中を見て、全てを預けたくなった。冬の香りが鼻につんと突き刺さり、そして思い知った。
 自分の中にある重たい感情を押し付けるほど、コナンは自由を失う。本来彼が持つべきだったものも奪ってしまう。本当の姿と名前を彼の未来から奪ってしまったように。

「哀」

 家に着いた途端、コナンに顔を覗きこまれた。

「大丈夫だよ。俺がおまえを守るから」

 玄関先で腕の中に抱きしめられる。学ランのボタンが頬に当たってちくりとした。
 よく考えてみれば分かる事だった。少年探偵団を含め、子供たちは両親の元で暮らして、大人になる事に対して夢を見たり焦りを感じたり、右往左往しながらもまっすぐに生きていた。二度目の十五歳を生きる自分達が普通じゃない事なんて、最初から分かっていたはずなのに。
 あまりにも幸せな日々に、自分は灰原哀として本当の十五歳のように、周りと変わらない思春期を過ごしているのだと勘違いしていた。ただの幻想だとも知らずに、滑稽に踊り続ける人形みたいだ。