十一月には秋の節目である秋分の日があり、祝日であるこの日は学校が休みだった。いつもと同じ時間に起床した哀は、習慣にしている体温計を口にくわえながら隣で眠るコナンの寝顔をしばし見つめた後、電子音が小さく鳴ったのと同時に寒さに対抗するように布団の外に出た。足元に置いた紫色のガウンを羽織る。
昨夜も遅くまで読書に耽っていたコナンはまだしばらく降りてこないだろうと、哀は洗濯と朝食の準備を終わらせ、何気なく付けたテレビをBGMに新聞を読んだ。
「おはよ……」
午前十時をまわろうとする時間にようやく眠そうにコナンが起きてきた。コナンが哀の隣に座り、他愛ない会話をしている時、テレビから流れてきたのは、先日歩美に教えてもらった歌だった。歌い手自体を見るのは初めてだが、白いワンピースがよく似合う、まさに純潔そのものの風貌だった。
この歌を歩美に教えてもらった事をコナンに告げると、哀の肩に頭をもたれるように座っていたコナンが、複雑そうな声で、
「俺、歩美が嫁に行く時は泣くかも」
とつぶやいた。
それってまるで幼馴染というより父親の心境みたいだと哀は思うが、敢えて触れないでおく。そして改めて納得してしまった。歩美にも、そして元太にも光彦にもそういう未来は当たり前のように用意されていて、彼らは大人になっていく。――じゃあ、私達は?
疑問を払拭できないまま、予定のあった哀は薄手のコートを羽織って外に出た。
「何それ、コナン君ってばお父さんみたい!」
目の前に座る毛利蘭が可笑しそうに目を細めて笑った。
「でも、そうだったよね。コナン君も哀ちゃんも昔から大人びてて、歩美ちゃん達の保護者みたいで。本当は歩美ちゃん達が年相応だったんだなって思うけれど」
軽快なジャズポップが流れる喫茶店の雰囲気に、落ち着いた蘭の声はいつも以上に耳触りのいいものだった。ここは蘭の母親でもある英理が住む場所からほど近い喫茶店で、蘭とは時々こうして会っていた。
「そうかしら。江戸川君も変なところで子供っぽいけれど」
「うーん…。それはコナン君が哀ちゃんに気を許しているからかもしれないわ」
全面ガラス張りのこの喫茶店には、秋の柔らかい日差しがよく入っていて気持ちがいい。
「コナン君、私にはそういう素振りを見せてくれなかったもん」
蘭はたっぷり三秒ほど、テーブルに置かれたカフェインレスコーヒーに視線を落とした後、再び顔をあげてにっこり笑った。
「でもよかった。哀ちゃんもコナン君も元気そうで」
「……ありがとう」
コナンが毛利家を出たのは小学四年生の頃だった。組織を壊滅させたちょうど一年後の事で、蘭とは決別をするような形で阿笠邸に移り住んだ。コナンはそれについて詳しく話さなかったが、代わりにつぶやいた言葉は、哀を好きだという告白だった。
当時の蘭はすでに大学生になっていて恋人もいて、そんな現実を受け入れられなくなったのだと哀は思い、コナンを抱きしめた。もう昔のことだ。
「でも哀ちゃん達ももうすぐ受験でしょ? 試験の回数多いんじゃない?」
「ええ。まるで人生の修羅場のように先生が脅かして来るし、辟易しているところよ」
「そうだよねぇ。初めての受験だし、帝丹中の先生ってやたら試験の事や内申点の事を脅かして来るよねぇ」
膨らんだお腹に手を置くようにして、蘭は懐かしそうに笑った。
「でも、哀ちゃんもコナン君も大丈夫よ。志望は帝丹高校でしょ?」
「そうね」
一人の身体にして二人分の命を持つ蘭は、以前にも増しておおらかな雰囲気を持つようになったと思う。
「蘭さん。予定日はいつだっけ?」
話題を変えるように哀が訊ねた。
「来月。十二月二十五日って言われているけれど、本当にクリスマスに生まれてきたら面白いな」
「素敵だと思うわ」
「でも、お腹が重くて。寝返りも打てないし。早く生まれてきてーって思っちゃう」
結婚してから米花町と同じ沿線沿いに住んでいる蘭は、里帰り出産という名目で母親である英理の元で暮らしていた。今も弁護士として活躍する英理だが、きっと娘の蘭に頼られる事を喜んでいるだろう。
夕方になり、蘭と別れ、米花町に向かう。コナンにメールを送ると、ちょうどコナンも事件に呼び出されて外にいたらしく、駅で待ち合わせしようという事になった。
一緒に暮らしていると、待ち合わせをするという事がなくなるので、新鮮に思いながら、これから一緒にスーパーに行って夕食の献立をコナンに聞こうと思った。肌寒い冬に差しかかる夕空を見ながら、その新鮮さに哀は浮かれていたのかもしれない。