年越しは阿笠邸で過ごし、初詣は哀と二人で近所の神社にお参りした。合格祈願のお守りなんてまるで中学生のようなものを買って、哀と顔を寄せ合って笑い合った。
正月気分は一日のみで、年が明けて二日からは再び、大量の宿題を少年探偵団で一緒に消化する日々が始まった。場所は工藤邸のダイニングで、これまではどこか不真面目にすぐに雑談していた元太や歩美も、真剣に取り組んでいた。
「冬休みがあけたらまた模試ですね…」
緊張感を漂わせた表情で光彦が宙を見つめたままつぶやく。その隣では元太が今にも眠りそうになり、更にその隣で「寝たら駄目だよ元太君!」と歩美が高い声で呼びかけている。
一応ひととおり宿題を終えているコナンや哀も彼らに付き合い、同じダイニングテーブルに座っていた。
「頑張っているもの。心配することないわ」
隣の席の歩美に数学の問題を教えていた哀が、光彦に言う。同じような光景がデジャブし、コナンは視線を落とした。
工藤邸のリビング。大量の宿題。初めての受験。
空気が薄くなったように感じ、立ち上がる。引きずられた椅子の音が不快に耳を突いた。
「コナン君?」
そんなコナンの様子に、きょとんと光彦が見上げた。はっと我に返り、コナンは慌てて平然を取り繕う。
「あ…、悪い。ちょっと外の空気吸ってくる」
コートを羽織って向かった玄関には、いつも見ない靴が散らかっていて、ほっとするのと同時に、認めたくない黒い感情が心を支配した。
少年探偵団の三人にも、コナンと哀が一緒に暮らしている事を隠していなかった。でもそれを吹聴するような子供たちではない事を誰よりもコナンと哀は知っていた。コナンは彼らを好きだ。江戸川コナンとしての生活を始めた時に、分け隔てなく接してくれた彼らを、とても好きだし、信頼もしている。彼らの存在にはどれだけ救われたか分からない。なのに、日頃はそこにないはずの靴があることで、妙な焦燥感に駆られ、コナンは自分の靴を履いて外に出た。乾燥した冷たい風が耳を冷やす。マフラーもしてきたらよかった、と思うけれど、今工藤邸には戻れない。
「コナン君!」
門を出て公道を歩いていると、先ほど自分を現実に引き戻した声が再び響き、コナンは振り返った。
「……光彦。どうしたんだ?」
「僕も一緒に息抜きをしていいですか?」
ストライプのマフラーを巻いた光彦に訊かれ、断る理由などないコナンは首を縦に振った。そして二人並んで大通りに向かって歩く。車のライトが眩しくて、コナンは思わず目を細める。
「高校になったら寂しくなりますね。みんな一緒ってわけじゃないから」
「そうだな…」
出会った時からコナンよりも背の高い光彦は、今も相変わらず長身で、聡明さと真面目さが校内でも評価されていた。出会った時はただの理屈っぽい子供だなと思ったのに、いつの間にか頼れる仲間の一人だ。
「でもコナン君達は変わらないですよね」
自然にコンビニに向かい、店内に入る前に光彦がコナンを向いた。冷えた身体は暖かい店内に入りたがっているのに、なぜか足が動かなかった。
「僕も帝丹高校に行きたいんです」
光彦の表情は、逆光のせいかよく見えない。
「光彦なら大丈夫なんじゃねーの?」
「はい。どうしても行きたいんです。僕も、灰原さんの事が好きなので」
会話の流れで何でもない事のように、軽い口調で光彦が言ったものだから、思わず聞き逃しそうになった。誰が、誰を好きだって?
「……冗談ですよ」
そして光彦はふわりと笑って、コンビニの店内に入って行った。黒いコートにおしゃれなマフラーを首に巻いた後姿は男らしくて、知らない人みたいに思った。コナンも慌ててコンビニ店内に入る。軽快な音楽と、明るすぎる照明に目が眩む。
「光彦」
「冗談です、コナン君」
そう言って、光彦はレジで肉まんを二つ買い、そしてコナンに一つ渡した。来た道を逆戻りする。温かい肉まんが体内に入ることで寒さは和らぐのに、不穏さは消えない。
冬の冷たい空気は澄んでいるように感じるのに、息苦しく感じ、酸素を求めるようにコナンは上を向いた。夜の空は遠い。空は宇宙だ。無限大に思えるほどの空間の中で、やはり無限大に思えるほどの数の人間が生きている。世界の大きさに畏怖し始めるようになったのはいつだっただろう。
始業式の前日の夜、受験生にもかかわらずコナンはあるシリーズ本の新刊を手に入れ、読書に耽っていた。
リビングのソファーの上で首の凝りを覚え、あくびをしながら壁時計に目をやると午前2時をまわろうとしていた。明日から学校である事を悔みながら、コナンは本を閉じてテーブルに置き、裸足のまま階段を上った。
寝室では先に哀が眠っている。二人が眠る時、哀が窓側でコナンが廊下側といつの間にか決まっていた。哀がこちら側に背を向けて眠っている事に寂しさを覚えながら、コナンは哀を起こさないようにそっと布団に入った。哀の体温が伝わった布団の中は温かくて、ほっと息をつく。
明日から学校だ。もう一月で、教室内は今まで以上に重い空気になるのだろうか。憂鬱に思いながら目を閉じてため息をつくと、
「もう寝た?」
体勢を変えないまま哀がぽつりとつぶやき、コナンは驚いて哀を向いた。
「おまえが寝てたんじゃなかったのか? 悪い、起こしたか?」
「大丈夫」
そう答える癖に、哀はこちらを向こうとしない。起きているならと遠慮せず、コナンは哀の背中に抱きつくように腕をまわし、首元に顔をうずめた。同じシャンプーの香りに安心する。
「江戸川君」
彼女の声は、今起きたとは思えないくらい、凛と響く。
「私、帝丹高校を受験しない事にしたから」
彼女の突然の発言により、寝室の空気はいっそう冷えた。