とうに衣替えが終わり黒い面積の多い制服を着る生徒達がカリカリと問題を解く教室内で、鳴り響くチャイムの音は試験終了の合図だ。鉛筆を置きなさい、と今時鉛筆を持つ生徒もいないのに、教師の吐くテンプレートは変わらない。その合図とともに教室の張りつめた空気が解け、コナンも無意識に肩を撫で下ろした。
「江戸川、どうだった?」
後ろの席に座る岡田がいつものように肩をつつく。
「別に…、普通だよ」
「オッマエ、頭いいもんなぁ」
いつの時代でも教室の中で囁かれる単語は変わらない。成績の良し悪し、運動神経の良し悪し、分かりやすいようで複雑な物差しで自分を測られているみたいだ。
少ない荷物を鞄にまとめて教室を出ようとすると、クラスメイトの男子数人に引きとめられる。これから答え合わせがてらファストフードに行かないか、との誘いだった。
複雑に思うのは自分に非があるせいだとコナンは思う。その感情は後ろめたさと呼ばれるものかもしれない。中学生男子にこちらの事情を悟らせるような気遣いは求めていないし、むしろそれをされる方が後味悪い。コナンは少年探偵団とは別の、クラスメイトの友人の事も好きだった。
彼らと一緒に教室を出て靴を履き替え、数人で今日の試験の愚痴を吐き合いながら駅前に向かう。その隙にコナンは哀に寄り道して帰る旨の連絡を入れる。
「あれ、オマエもしかして灰原さんに会う予定だったんじゃねぇの? 大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ」
ファストフードの席に着き、岡田がコナンのスマートフォンを覗きこむ。コナンがスマートフォンをポケットに入れながら答えると、周りにいた男子達が大げさにため息をついた。
「なんだよ、その熟年夫婦感!」
「こいつら隠れて同棲か何かしてるんじゃねーの?」
ハンバーガーを口に含みながら彼らが冗談に笑いあい、内心ドキリとしながらもコナンは平然とした振りでアイスコーヒーを飲み込んだ。
「…昔からの付き合いだからな」
「ああそっか、小一の時から一緒なんだっけ? 小嶋とか少年探偵団の奴らもそうだもんな」
「オレも灰原さんや吉田さんみたいな美人で可愛い幼馴染欲っしー!」
「いやいや、おまえにハイスペックな幼馴染がいたところで付き合えねーから。釣り合わねーから」
友人達のノリとツッコミを眺めながら、コナンは先日の服部との電話を思い出していた。いつになく疲労感が声に含まれていたけれど、彼はもうプロポーズをしたのだろうか。結婚したら何が変わるのだろうか。ああ、服部の彼女の名字が変わるのか。子供みたいな事を考える。
注文したハンバーガーを食べ終わったのと同時に、ポケットの中でスマホが震えた。手についた油を紙ナプキンで拭った後、コナンはスマホを確認する。
「江戸川、誰から? 灰原さん?」
「いや、警察。…悪い、俺もう行かなきゃ」
そう言って席を立ち上がる。隣に座っていた友人が遠慮がちにコナンを見上げたのが分かったが、コナンは敢えて彼らを見ないようにして残っていたアイスコーヒーを飲み切り、空になったトレイを持ってゴミ箱に向かう。
「江戸川って警察からの呼び出し多いよな」
「なぁ、マジであいつ何者なの?」
彼らが頭を寄せ合って首をかしげている会話にも気付かない振りをして、自動ドアをくぐって外に出た。まだ空の色は明るい。
何者でもないよ、とコナンは思う。二周目の人生を持て余している、ただの中学生だ。
警視庁に寄ってから帰ると、さすがの秋の始まりの空も暗くなっていた。夕方六時半。
「ただいまー」
身に覚えのある中学生の食欲というものは恐ろしい。つい二時間前にハンバーガーをひとつ食べたはずなのに、玄関のドアを開けた途端に漂う香りに空腹感を覚える。中学生男子の燃費は驚くほど悪かった。
「哀?」
物音ひとつ聞こえない事に疑問を覚えながらリビングのドアを開けると、ソファーに哀が横たわっていた。白い頬に睫毛の影が映っている。寝息を立てている様子に、珍しいな、とコナンは思う。
コナンの気配にも気付かない哀は、一緒に暮らし始めてから、いい意味で鈍感さを手に入れた。今ではもう同じベッドで眠っていても彼女の眠りが浅い事もない。とてもいい傾向だった。
コナンはソファーの近くにしゃがみ込み、哀の寝顔を眺めた。彼女のこんな姿を見られるのは自分だけだと思えるのに、なぜか寂しい。彼女が自分を見つめてくれないだけで、世界に見離された気がして、茶色がかった前髪に自分の額をくっつける。
部屋の中には静寂さが漂い、窓の外から車のエンジン音が遠ざかって行く気配だけを感じた。友人と過ごす時間が多くても、警察関係者に親切にされても、彼女と自分はたったふたりきりだ。