受験も終わり、そして結果発表も出て、教室内は緊張感も解け、あとは卒業式を待つだけだった。
帝丹高校に行きたいと日々話していたクラスメイトの岡田も、そして受験直前まで一緒に勉強した光彦も、春からは帝丹高校に入学する事が無事に決まった。もちろんコナンも例に漏れずだ。
「江戸川、ホワイトデーは何か考えているのか?」
休憩時間、いつものように後ろの席から岡田が突いてくる。この一年もあっという間だった。この日常もあと数日で終わるのだと思うと、感慨深くもなる。
「でも十四日って卒業式だったよな?」
「だからいいんじゃーん。卒業式終わって、バレンタインのお返しをして、そのままイチャつけるじゃーん」
頬杖をつきながら、岡田はこっそりとコナンに耳打ちをする。
「だってオマエらって一緒に暮らしてるんだろ?」
「……それは、ただの噂だよ」
「うーん。まぁ俺らの歳で同棲って現実的じゃねーけどさ。江戸川と灰原さんの関係って憧れるよ。みんなそーなんじゃねーのかな」
相変わらず爽やかなオーラを全開にして、岡田は顔をくしゃりとさせて笑った。彼とも同じ高校に進学できる事を心強く思う。
「ところでさ。灰原さんはどこの高校なんだ?」
岡田の素朴な疑問に、コナンは口を閉ざす。その躊躇いを察したのか、岡田が眉を潜めた時、チャイムが鳴った。授業が始まり、そこで会話は途切れ、不覚にもコナンはほっと息を吐いた。
帝丹高校を受験しないと宣告されたのが一月の初め。哀が博士と一緒に隠れて何かを行動しようとしている事には気付いていた。
しかし、卒業式前日になっても哀の口からは真実が明かされないまま、何事もなかったように夕食が準備される。
「明日の卒業式は、博士は来られるんだったっけ?」
「ええ。でも夜は学会で大阪に行くみたいだから、式が終わったらすぐに留守にするみたい」
「そっか」
いつものようにテーブルで向かい合せになって、他愛のない会話をする。
「有希子さんや優作さんは? 卒業式に来られそう?」
「いや、あの人達は来ないよ」
「どうして? 一人息子の卒業式よ」
哀の率直な疑問に、コナンは顔をあげた。
「そうだけど、でもそうなると母さんはまた江戸川文代に変装しないといけねーしさ。一応あの人も元女優だから遠縁の親戚としてあのまま出席するわけにもいかねーし、それに父さんの小説も発売されたばかりで忙しいみたいだから」
まるで言い訳のように言葉を並べるコナンの心の奥底を読み取ったように、哀が眉を潜めた。
「家族なのに?」
「え?」
「……江戸川君は有希子さんに卒業式の事も伝えてないんじゃない?」
哀の言う事は正しい。でも両親はコナンに、新一に無限大の愛情をくれる。もちろんそんな有希子が卒業式について問わなかったわけではない。それでも。
「俺はおまえがいればそれでいい」
哀だって真実を話そうとしないくせに卑怯だ、とコナンは思う。それを咎められないのも、こうしてすがりついているのも、子供の約束を守るように彼女の傍にいたいからだ。
この話は終わろうと、コナンは再び箸を動かした。
食事を終え、コナンが食器を片づける。その間にシャワーを浴びた哀が、二階に上がって行くのが見えた。もう眠りに就くのだろうか。疑問に思いながらコナンもシャワーを浴び、タオルで頭を拭きながら寝室を覗く。
電気の点いていない寝室の奥にあるベッドの定位置には哀が寝ていて、布団が盛り上がっていた。コナンはそっと部屋に足を踏み入れ、タオルを肩にかけたまま、ベッドの端にそっと座る。
明日は卒業式だ。中学校の生活に何の未練もないのに、やたらとセンチメンタルな気分に陥ってしまう。工藤新一と江戸川コナンは別人みたいだ。新一は、訪れる未来に対して希望を持っていた。キラキラと輝いた未来を信じて疑っていなかった。
「…髪の毛、私には乾かせって言うのに、自分の事になると無頓着になるのね」
布団の中から顔を覗かせた哀が、ぽつりとつぶやく。
「やっぱり起きていたのかよ」
コナンが言うのと同時に、哀が寝転がったまま手を伸ばし、コナンのTシャツの首元を引っ張った。その衝撃でコナンはバランスを崩し、布団を被った哀の上に覆いかぶさるような格好になる。肩にかけていたタオルが床にパサリと落ちた。
「おっ…と、あぶね…。なぁどうしたんだ、あ…」
哀、と発音する前に、首元を引き寄せられ、唇を塞がれる。哀の唇は冷たかった。哀を潰してしまわないように体勢を整えながら、キスを繰り返す。珍しく哀の舌がコナンの唇に触れ、冷たい唇とは対照的にそれはとても熱かった。
生乾きの髪の毛に、窓からの隙間風が寒さを伝える。三月半ばといえど、夜はまだ冷える。体温を求めてコナンは布団の中に入り込み、彼女を抱きしめた。
彼女の手の平がコナンのTシャツに触れ、そしてそれを捲りあげるようにして素肌に触れる。彼女の華奢な指が自分に触れている。それは初めての事でもないのに、身体の中心からぞくりと欲を駆り立てるには十分な仕草だった。それに答えるように、コナンも哀のパジャマのボタンを外し、彼女の肌に触れる。風呂上がりにすぐに布団に入ったからか、彼女の背中はしっとりと汗ばんでいた。
性急すぎず、とても落ち着いた行為だった。ただいつもと違ったのは、哀がやたらとコナンの全身に触れ、やたらとキスを強請ってきた事だ。それに応えている内に攻防が普段と逆転し、哀がコナンの上に跨る形で、コナンを受け入れた。
静かな部屋にお互いの息遣いだけが響く。寝そべったまま哀を見つめていたコナンが、そっと手を伸ばし、もっと密着するように彼女を引き寄せた時、ぽたりとコナンの肩に熱い滴が落ちた。
「哀……」
ぽたぽた、と堪え切れなくなった涙がコナンの肩を濡らして行き、コナンは哀を抱きしめた。その衝撃が快感に繋がるのを抑えながら、コナンは哀の背中を両手で抱き、暗闇に浮いた天井を見つめた。
「なんで泣くんだよ…」
コナンの問いに哀は首を横に振り、律動を再開する。その空間には静けさだけが満ち溢れていた。
哀の柔らかな腕に、胸に、触れながら、コナンもより彼女に近づこうと腰を突きあげる。喉元に石が詰まったような息苦しさを感じた。彼女の答えを、コナンは知っていた。
互いの身体を暴いても、触れ合っても、密着しても、心の穴は埋まらずに寂しさが募る。それでもこの方法以外を見つけられなかった。