幕間3-1



幕間3



 真新しい制服の匂いが鼻をくすぐる。清潔な白いシャツを着て、ネクタイを締める。そして紺色のブレザー。それらは昨日よりもぐっと自分を大人にさせた。
 桜が満開になるのはあと数日先だ。それでも校門に咲き誇る桜は見事で、卒業式が雨だった分、ようやく春の訪れを感じた。円谷光彦は、高校一年生になった。
 外に設置されている掲示板で自分のクラスを確認し、ざっと知っている生徒の名前を探す。同じ帝丹中学校から進学している人も少なくはない。その中で江戸川コナンの名前を見つけ、自分と別のクラスであることに落胆した。やはり進級とは違って、進学とは緊張を強いられる。
 ため息をつき、入学式の会場である体育館前へと歩く。クラスごとに分けられた列に並び、周りを見渡すと、どこかで見た顔に出会った。

「…えっと、つぶらや、だっけ?」

 その男子生徒も自分を知っているようで、しかもご丁寧に名前まで呼ばれ、光彦はほっとしながらも記憶の中で彼の姿を探した。

「ええと、僕は円谷だけど…、えっと、コナン君の友達ですよね…?」

 探り出すようにつぶやくと、相手は爽やかに笑い、うなずく。

「うん、そうだよ。中三の時、江戸川と同じクラスで、岡田っていうんだ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします。岡田君もこのクラスですか?」

 さっそく心強い仲間ができたようで、今度こそ光彦は表情を和らげた。

「ああ、そうなんだ。よかった、他にも帝丹中の奴らいるっぽいけれど、あんまり知り合いいなくてさ」
「僕もです。コナン君も別のクラスみたいですし…」
「てゆーか、あいつ春休み中何してたの? 全然捕まらなかったんだけど」

 シャツを第一ボタンまで閉めてきっちりとネクタイを締めている岡田が肩をすくめて笑う。だけど光彦は笑えなかった。事情は元太や歩美から聞いていて、光彦自身コナンをとても心配したが、電話は繋がらず、メールをしてもほとんど無視されるか、返事があったとしても単調なものしか返って来なかった。
 岡田は知っているのだろうか。灰原哀が姿を消し、コナンは春休みの間に毛利家に住んでいた事を。

「あの…、岡田君…」

 探り探り光彦がつぶやくのと同時に、岡田は視線を逸らし、ぱぁっと表情を輝かせた。

「江戸川!!」

 その固有名詞にびくりと肩を震わせた光彦は、恐る恐る振り返る。

「おう。岡田に、光彦。なんか珍しい組み合わせだな」

 眼鏡を買い替えたのだろうか、中学の頃よりも更に大人っぽくなったコナンが、レンズの奥にある目を細めて笑った。帝丹高校の制服がよく似合う。まだ制服に着せられている状態の他の生徒とは違い、まるで最初から高校生だったように見えた。

「おまえ春休み何してたんだよ? メールの返事くらいしろよー。灰原さんとイチャつくのに忙しかったのかもしれねーけどさ」

 軽快に発せられた岡田の言葉に、光彦は凍りついた。空気が固まる。そう恐れながら、おずおずとコナンを見ると、コナンはあっさりと笑みを口元に浮かべて、そして言った。

「悪いな、岡田。あいつとは別れたんだ」

 平坦で単調な口調。ぞくりと背筋を何かが伝ったのを光彦は感じた。

「はっ?! なんでだよ? おまえ卒業式の時……」
「――岡田君!」

 思わず光彦が声をあげると、岡田がはっとしたように口をつぐんだ。その様子をどこかおかしそうに眺めたコナンが、

「じゃ、俺はあっちのクラスだから」

 そう言い残し、自分のクラスの列へと混ざって行った。
 やがて教師が列の前に現れ、ぞろぞろと足並みをそろえて体育館に入って行く。新しい生活の始まりに、期待と夢で溢れている。未来を信じてやまない。だけど、自分達の望む未来とは、一体いつになったら訪れるというのだろう。
 小学生の頃、中学生は大人に見えた。でも実は全然大人になれなくて、高校生になったら今度こそ大人らしく振る舞えるのだと思った。だけど、結局自分は何にもなれない。いつまでもコナンを追いかけてばかりで、理想への距離は一定で、平行線だ。



 式が終わり、教室でホームルームが行われた後、ようやく堅苦しい時間から解放された。

「円谷」

 先ほどよりもネクタイを緩めた岡田が、苦い顔をして光彦に声をかける。晴々しいこの日に、こんな表情をしているのは、このクラスではきっと岡田と自分だけだと光彦は思う。

「さっきはごめん」
「いえ……。岡田君は知らなかったわけですし…」

 光彦は真新しい鞄を手に持って、岡田と一緒に廊下を歩く。コナンのクラスももうホームルームは終わったのだろうか。

「俺さ…」

 光彦の横で、岡田が俯き加減でつぶやいた。

「江戸川と灰原さんって、すっげーいいなって思ってて。あんな風に分かり合えるのって、ドラマとか映画だけの世界だと思ってたから、ほんとに、いいなって思ってて」

 窓の外の桜は満開だった。青空にピンク色がよく映える。この桜も、あと数日したら花びらが舞って、緑へと色を変えていくのだろう。変わらないのは、変えられないのは、いつだって自分だけだった。

「なんで…、なんで別れちゃったんだろう…。俺が言っても仕方ない事だけど、でも、すごく疑問だ…」
「岡田君」

 桜を横目に、光彦は言う。

「たぶんコナン君達だけじゃなくて、きっと僕らにも、理解できない出来事がきっとこれからあるんだと思います」

 光彦の言葉に、岡田がはっと顔をあげた。
 大人になったら悩みなんてなくなって、全ての出来事を受け入れられるのだと思っていた。上手に諦める事もできるのだと思っていた。だけどきっと違う。大人だって苦しんで、悩んで、泣く事もあるのだ。