Holiday


 寝室の大きな窓から眩しい光が入って来て、コナンは目をこすりながらゆっくりと瞼を開いた。太陽の位置が普段より高いことを感じ、今日が休日であることを思い出した。
 隣では眩しさから逃れるように布団を頭まで被った哀が眠っている。寝息とともに白い肩が揺れる。いつもの休日であれば哀はコナンより先に起きてしまうというのに、珍しい。布団の中にこもった温もりが嬉しくなって、コナンはその肩を抱き寄せるように、哀のうなじに顔をうずめた。

「…江戸川君?」

 さすがに目を覚ましたのか、哀は身をよじるようにして寝返りを打ち、まだ眠そうな瞳で正面からコナンの顔を覗き見た。

「オハヨ」
「…今、何時?」
「さぁ? けっこう時間経っていると思うけど」

 言いながら哀の白い肩に指を滑らせる。それを制止するように哀がその指に触れ、再び瞼を閉じた。なんとなく寂しさを覚えながらコナンは哀の髪の毛触れながら、その額に唇を落とす。

「…ダメ?」
「駄目。眠いのよ…」

 そういえば少しだけ哀の体温が高いと思う。昨夜その肌に触れていた時は気付かなかったけれど、体調でも悪いのだろうか。朝から沸き上がった欲情が一気に消え失せ、コナンは慌てて額に手を押しあてた。熱が高いわけではなさそうだ。

「具合悪いのか?」
「…違うわ」

 そのまま哀は再び眠りの世界に引きずられていった。
 疲れているのかもしれない、とコナンは思う。寝息をたてる哀に身を寄せるようにコナンも目を閉じたが、一度覚醒した脳はそう簡単に眠りの世界に引き寄せられない。諦めて、コナンは哀の柔らかい髪の毛を指先で遊び、それにも飽きた頃にようやく起き上がった。
 壁時計に目を向けると午前9時を回っている。窓の外はいい天気だ。



 哀を起こさないようにそっとベッドから出て、適当にシャツを羽織ってリビングへと階段を降りた。哀のいない部屋はしんと冷たい空気が漂っている。ただ時計の音だけが響いて聞こえ、裸足の裏に床の木目が記憶できそうな錯覚に陥った。
 お腹が空いているが、冷蔵庫を開けてもぴんと来ない。冷凍庫にはご飯が眠っているが、ただの白飯を食べたい気分でもなく、野菜室にある野菜を見つけたところでどう調理すればいいのか分からない。
 空腹を満たす事を諦めたコナンは洗面所に行き、顔を洗い、歯を磨いた。視界の端に映る洗濯物に気付く。二人だけの暮らしだし、日頃は制服を着て過ごしているので、取り立てて洗濯物が多いとは思わない。だけど昨日持って帰って来た体操服だとか、使ったタオルも埋まったそのカゴを見て、コナンは洗濯機のボタンを押した。
 工藤新一だった頃に一人暮らしだったのもあり、また哀がこちらに引越す前にもこの家で家事はしていたので、料理はできないままだったが洗濯くらいはできるようになっていた。だけど棚に並んだ洗剤の種類が増えた事にコナンは驚いた。一人で住んでいた頃には無頓着にもよくテレビのコマーシャルで流れる粉洗剤をよく分からないまま使っていたが、その棚にはカラフルに液体洗剤も並んでいる。コナンはそれらを手にとって蓋を開ける。とてもじゃないけれどその液体が洗剤にはとうてい思えなかった。だけど中から溢れる香りは、いつも自分が袖を通しているシャツと同じものだった。
 一緒に暮らすようになってから、全ての家事を哀がこなしてくれる。それと並行して高校生活を送っているのだ。
 コナンが小学校を卒業するまで居候していた毛利家の蘭も同様のことをしていたので、とりたてて不思議には思わなかったが、よく考えてみればそれはかなりの負担であることを今更になってコナンは思い知った。眠いと言って今も起きてこない哀を、当たり前だと思い、小さな罪悪感を払いのけるようにコナンは以前と同じように粉洗剤を洗濯機に放り込んだ。




 洗濯が終わる電子音が鳴り響き、哀は目を覚ました。昨日タイマーをかけたかしら、と考え、窓の外の明るさに今日は休日である事を思い出す。
 妙に頭が重く、下腹部も痛い。昨夜のあれこれを思い出し、文句を口ごもりながら哀は起き上がり、ベッドから出た。壁時計を見ると、もう午前10時を過ぎている。ずいぶんと寝過ごしてしまったものだ。
 寝室のドアを開け、階段を降りると、洗剤の匂いが鼻に触った。洗面所を開けると、ちょうどコナンが洗濯物をカゴに移し変えているところだった。

「あれ、哀?」
「おはよう。何しているの?」
「何って…。洗濯」
「そう」

 いつも自分が嗅いでいる香りとは違うことに気付いた哀は、コナンの隣に立って洗濯物を見た。

「柔軟剤使った?」
「…じゅうないんざい?」
「洗剤と一緒に使うのよ」

 哀は棚からお気に入りの柔軟剤を手に取り、洗濯機の柔軟剤入れをコナンに示した。コナンは納得するような顔で素直にうなずいている。

「だからおめーが洗濯するといい匂いなんだ」
「匂いもだけど、洗濯した後の肌触りも違うって謳われているわね」
「ああ、だから柔軟剤」

 美人主婦とイケメン俳優がそろってタオルに頬ずりするコマーシャルを思い出しながら、哀は思わず笑ってしまった。どんな難事件でも解いてしまうコナンが、こんなことで悩みながらそれでも洗濯をしてくれたことを思うと、温かい気持ちになる。

「ご飯は食べたの?」
「いや…。なんか何食えばいいのか分からなくて。腹は減ってるんだけど」
「なら、洗濯物を干してから、ブランチにしましょ」

 哀が言うと、コナンは満足げに笑った。



 二階にあるドアからバルコニーに出る。いつもは時間を気にしながら冷たい洗濯物を干しているだけの作業が、コナンととりとめのない事を話しながらだと、その時間に温度が通う。
 二人でやることによりあっという間に終わり、哀はコナンと一緒にリビングへ降りた。時間は11時すぎ。ほどよく空腹を感じた。
 哀は冷蔵庫を開ける。夕飯は阿笠家で摂っているので、工藤家の冷蔵庫にはほとんど食材がない。

「江戸川君、何食べたい?」
「なんでもいいぜ」

 その答えが一番困る事を、きっと彼は知らない。哀はため息をついて冷蔵庫を閉めた。

「哀」

 背後に立ったコナンが哀の肩に触れた。

「体調は大丈夫か?」
「…体調?」
「朝、具合悪そうだったからさ。体温も高かったし」

 その言葉に哀はかっと顔を赤くした。いくら医学的な知識が豊富なコナンでも、きっと女の身体が一カ月のサイクルで体温が変わる事を知識と結びつけることは容易ではないだろう。
 何も答えない哀を気遣ってか、コナンは哀の手を掴み、ダイニングテーブルの椅子に座らせた。

「外に出られるようだったら、近くのパン屋に行ってみようぜ」
「パン屋?」
「前に蘭が言ってたんだ。春ごろにオープンしたらしい」

 哀が顔をあげると、優しい顔をしたコナンが哀の前髪を撫でた。

「そして、あとは家でゆっくりしよう。そういう休日も悪くねーだろ?」

 得意げに言うコナンを見て、哀は微笑んだ。

「そうね」

 答えて、哀は立ち上がる。上着を羽織って外に出ると、青空が広がっていた。
 いつものようにコナンが哀に手を差し出すので、哀はそれを柔らかく掴んで、ゆっくりと歩いた。登校する時に見るものとは違う景色はとても穏やかだ。



(2015.4.12)