Be Happy


 放課後にはスーパーに寄って帰る事が日課になっている。
 今日の夕飯は何にしようか考えながら哀は野菜売り場を歩く。制服のままスーパーを歩くことは注目を浴びるのだが、哀にとっては博士に拾われた小学一年生からの日常業務なので、今更気になる事ではない。
 三人分の材料で考え、だけど最近のコナンは事件だ部活だと帰りが遅い事もしばしばある事を思い出し、哀は根菜を手に取りながらため息をつく。いつの間にか、時間勝負な炒め物よりも保存のきく煮込み料理を作る習慣が身についていた。



 ビニル袋をがさがさと音を立てながら持って歩き、いつも食事を摂っている阿笠邸に帰る。

「ただいま」

 博士が何かを発明している時は物音に気付かないこともあるので、玄関にはいつも鍵がかかっている。哀はそれを慣れた手つきで開け、いつものように少しだけ声を張り上げる。
 ドアからすぐ前に広がるリビングには人の気配がなく、いつもは付いている明かりもついていない。しんとしたそこの空間はまるで作りもののように冷たくて、博士がいないことを哀は直感で分かった。
 そこに、制服のポケットの中で携帯電話が震えた。メールを開くと、コナンからだった。

  警察に呼び出された。また連絡する。

 いつもの常套句に、哀は深くため息をつき、ビニル袋を落とすように床に置いた。
 別にいつものことだ。そのために今日のメニューも作り置きできるものを考えたし、今更落ち込む事ではない。哀は自分に言い聞かせ、床に落としたビニル袋を持ってキッチンへ移動する。冷蔵保存が必要なものを冷蔵庫に詰め込みながら、そういえば調味料をひとつ切らしていた事に気付き、哀は冷蔵庫のドアを閉めた。
 何をしているんだろう。今日は絶対にスーパーで買おうと思っていたのに、忘れてしまうなんて。
 博士はいないし、コナンも帰って来ない。哀はふらふらと力なく歩き、リビングのソファーに崩れるように倒れ込んだ。制服が皺になるかもしれないと頭をよぎるが、そんなことも気にならないくらい、どうでもよくなっていた。
 博士の家の外で小学生らしき声が明るく響いている。普段は気にならない音でさえ耳に入るくらいの静寂さに、哀はひどく寂しさを覚えた。



 ――哀。
 遠くで声が聞こえる。

「哀」

 それが現実だと認識し、哀はぱちりと目を開けた。目の前には哀の顔を覗きこむコナンが怪訝に眉を寄せていた。

「おまえ、何してんだ? こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ?」

 その言葉と同時に、哀は寒さを覚え、両手で肩を抱くようにソファの上で丸まった。それを察知したようにコナンは哀に手を伸ばし、哀の身体ごと抱き上げて腕の中におさめた。コナンの体温が哀に少しずつ沁み渡り、哀はほっと息を吐いた。

「こんなに冷たくなりやがって…」

 呆れたように言うその声とは裏腹に、哀の髪の毛に触れる指が優しくて、哀は泣きそうになった。

「…ごめんなさい」
「ん?」
「夜ご飯、まだ作っていないわ」

 コナンの腕の中で哀が小さな声でつぶやくと、コナンはふっと笑った。

「つまんねー事気にすんな」
「だって…、あなたは警察から帰って来て、お腹もすいているはずでしょ?」
「哀」

 コナンはいよいよ叱るように正面から哀を見つめ、哀の頬に触れた。

「飯なんかどうでもいい。それより、こんなところで不貞寝していたおまえが心配だ」
「不貞寝なんて…」
「泣いた跡」

 コナンの指が哀の頬を辿り、哀はぞくりと身体を震わせた。

「俺を騙せるわけねーのに、嘘つくな」
「嘘なんか…」

 口ごもりながら、見透かされてしまったことに哀はほっとしていた。
 博士もいない、コナンもいないこの部屋が寂しくて涙が溢れたなんて、そんな格好悪い事は言いたくなかった。言いたくないのに理解して欲しいなんて、そんな勝手な自分をコナンはいつも察して、寄り添ってくれる。
 なんて幸せなんだろう。
 それでも哀は分かっている。
 幸せの裏には、そうでない世界が広がっている。
 舞い上がってはだめだ。いつもそうやって心のブレーキをかける。

「…博士が帰ってこないの」
「あれ? 今日は友達と外食して来るってメール来たけど…」
「私の所には届いていないわ」
「…博士のやつ、おまえにメール送るの忘れたのかな」

 コナンはため息をついた後、再び哀を抱き寄せた。

「久しぶりに俺らも外で食うか?」
「…高校生なのに、私達だけで?」
「バーロ。もう高校生、だぜ?」

 元々の哀の人生には子供らしく過ごした過去なんてなかった。
 二度目の子供時代には幸せが満ちていて、そんな中で過ごしている内に何が普通で何がそうでないのか、哀には判別つかなくなっていた。そんな世間知らずな哀をコナンはいつも誘導してくれる。
 コナンは哀の手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。

「ま、そうは言っても高校生だからな。限られているけど、ファミレスくらいならこの時間でも入れると思うぜ?」

 乱れた哀の髪の毛を丁寧に整えながら、コナンがにっと自信ありげな笑みを見せ、哀はそんなコナンをぼんやりと見つめながら、自分達の成長を思う。
 過去の時間が今の幸せを形作っているのだとしたら、コナンの隣にいる今をほんの少しだけ許せるような気がした。



タイトルは愛内里菜の曲から頂きました。
(2015.4.27)