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 夜のダウンタウンの景色は東京に似ているけれども、自分がいつも見ているものに比べて空が近く感じた。ビルとビルの間を右車線で車が走っていく。

「久しぶりだな、ボウヤ」

 赤井の運転するシボレーの車内にはかすかに煙草の匂いが香った。

「ボウヤはやめてよ、赤井さん。俺はもう子供じゃない」
「いくつになったんだ?」
「十八。次の三月で高校を卒業するよ」

 助手席に座っている新一を横目で見た赤井が、ホォと面白そうに口元を歪めるのが見えた。
 赤井秀一はハリウッドを中心に活動する俳優だった。日本で上映される映画でも赤井の姿を見る事は少なくなく、日本にも熱狂的なファンがいるようだ。
 久しぶりに会った赤井は、饒舌に近況を語る。最近の役作りで煮込み料理を覚えたらしく、カレーを大量に作りすぎたものの一人暮らしの為連日カレーを食べ続けたなどと冗談交じりに話し、新一を笑わせた。

「ところで赤井さん、さっき母さんが言ってたブロードウェイの話だけど、もしかしたら赤井さんが出演したりするの?」

 海からダウンタウンへ抜ける空はようやく夜を運んできた。新一は強制的にロケバスから降ろされ、赤井が乗って来たシボレーでホテルまで送り届けられる事になった。きっと有希子は今夜も締切前である優作のフォローにまわるのかもしれない。

「ああ、よく分かったな」
「ハリウッドで売れてる赤井さんが、今になってミュージカルデビュー? チャレンジするんだね」
「もともと俺は劇団出身だからな」

 口にくわえた煙草にハンドルを持たない左手で器用に火を付けた赤井は、噛み締めるようにして煙を吐いた。副流煙は窓の外へと流れていく。

「え、それ初耳なんだけど。アメリカで?」
「いや、日本だ」

 銀幕で輝く赤井秀一が舞台に立つのを想像するが、新一には想像がつかない。そもそも赤井は何歳なのか考える。自分より十歳以上は年上のはずだった。
 赤井とは幼い頃から顔馴染みだった。元は有希子の知り合いとして紹介され、その頃には既に赤井はアメリカで活躍をしていたので、日本で俳優活動をしていたなんて知らなかったし、ホーム―ページなどにも記録されていない。

「ところでボウヤ。ドラマ見たぞ。『ムーンライト』」

 やたら流暢な発音で、少し前まで日本で放送されていたドラマのタイトルを言う赤井に、新一は頭をがしがしと掻いた。

「あー…、赤井さんには見られたくなかったなぁ…」
「なんでだ? 宮野志保に演技を食われていたからか?」

 宮野志保。最後に見た光景がリアルに脳裏に浮かんだ。

「宮野の演技、気に入ったんだ?」

 ネットの一部で揶揄されている言葉を正面から向けられたのは初めてで、思わず悪態をつく言い方をすると、赤井がふっと笑った。

「彼女の事は、昔から知っているんだ」



 ホテルの部屋のドアを開けた途端に疲労感が身体を襲い、新一は着替える余裕も持たないままベッドに倒れ込んだ。湿度の低い空気で喉の違和感を覚え、新一は枕元に置いてある使い捨てのマスクを手に取る。肌寒さを感じ、愛用していたグレーのカーディガンを着ようと思うが、そのカーディガンを持って来られなかった事を思い出した。
 カーディガン越しに触れた彼女の肩の細さを思い出す。
 『ムーンライト』を改めて画面越しで見た時の感情を忘れない。それなりの評価をもらったドラマではあったが、それは工藤新一自身ではない。これまでも恋愛感情を持つ人物を演じた事はあったが、自分でも許せなくなるくらい、今回の演技はひどかった。ネットでの誹謗中傷にも納得がいく。
 父親の投げた一言が脳裏をめぐる。
 工藤新一は恋を知らない、と父は言う。そんな新一は、十代半ばに差しかかった頃からイケメン俳優と騒がれ、少女漫画から飛び出したような少年を演じ、女子高生達を釘づけにした事もあった。少なくとも当時の映画雑誌にはそのように書かれていたし、評価を浴びていた。
 だけど、今回の新一の演技はまるでおままごとのようだと批評を受けている。誰よりも新一が分かっていた。

 ――彼女の事は、昔から知っているんだ

 赤井秀一の意外な言葉で、元共演者の全貌の片鱗を見た気がした。
 新一は力のない上半身を無理やり起こし、同じようにベッドに転がっている鞄からスマートフォンを取り出す。検索エンジンを開くと、もう工藤新一の名前はトップニュースにはあがっていなかった。話題は次から次へと移り変わっていく。
 新一は、先ほど赤井から聞いた単語を、検索にかける。

  ブラックパール

 それは宮野志保が以前所属していた、今は無き劇団の名称だった。