Six in the morning


 雨の音が響いている。壁際に寄せた机のノートパソコンに向かって論文を作成していた哀は、はっと顔を上げた。窓の外は暗く、部屋を灯しているのは机に置かれたデスクライトととパソコンから放たれるブルーライトのみだった。
 椅子から立ち上がり、部屋の端に置かれているベッドに目を向けると、布団もかけずにうたた寝をしている姿に出会い、哀はそっとベッドに近付いた。

「工藤君」

 哀がこの1LDKの部屋に住み始めてから二か月ほどが経った、六月の始め。梅雨入りはまだのはずだが、今日は朝から激しい雨が続いていた。そんな中で新幹線に乗ってやって来た新一と会うのは、以前に住んでいたアパートを引き払った三月末以来の事で、哀が迎えに行った駅の改札前で、新一は人目もはばからず哀を抱きしめて、会いたかった、と一言つぶやいた。
 駅の構内に溢れていた外国人の中に紛れても不自然ではないほど熱い再会を果たしたというのに、哀は論文の締切りに追われていて、部屋に帰ってから早々、新一を放置してしまった事は否めない。罪悪感に駆られつつ、哀はベッドに横になった新一の寝顔を眺める。わずかな照明が新一の頬を照らしている。以前よりも顔色がよくなった、と気付いたのは、駅で再会してからすぐだった。新一は三月からしばらく治験を行い、現在は東京にある実家で暮らしながら、紹介された病院に通院を続けているようだった。

「……ごめん、俺、寝てた?」

 まだはっきりとはしていない意識の中で紡がれた声は、いつもよりも緊張感のないもので、哀は思わず苦笑を零す。

「せっかく来てくれたのに、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ忙しいのに押し掛けて悪かった」

 新一の寝ぼけまなこの瞳が、まっすぐに哀を捕らえる。

「哀」

 まどろみ始めた空気の中ではっきりとした声が、暗い部屋の中に響いた。未だ名前を呼ばれる事には慣れておらず、哀が視線のやりばに困っていると、新一はベッドの上でゆっくりと起き上がり、手を伸ばした。

「こっちに来いよ」

 半袖から伸びた腕が、哀を誘う。哀はゆっくりとベッドに上がり、新一に近付くと、手首を掴まれたタイミングで身体がよろめいた。その衝動で、壁際に背を向けて座る新一の腕の中に閉じ込められ、わずかに揺れるベッドの上、新一の心臓の音を頬に感じた。久しぶりの温もりに、ほっと息をつく。
 哀、とかすれた声で、新一は哀の肩に顔をうずめながらつぶやいた。

「会いたかった……」

 熱い息が肩にかかり、哀はゆっくりと目を閉じる。駅で聞いたものと同じ言葉が耳元で響く。目を閉じた事で、新一の温もりも、窓の外で振り続ける雨の気配も、より鮮明に閉じたまぶたの裏に降りかかる。
 さらりと後頭部に熱を感じて、新一が哀の頭を抱えるようにしながらも撫でているのだと分かった。そして重なる唇の温もり。ふ、と新一のため息を零すような笑い声が聞こえ、目を開けると、すぐ目の前で新一が目を細めていた。

「キスをせがまれているのかと思って」

 おまえが自ら目を閉じるからさ、とおかしそうに笑い、そういうつもりじゃなかったのに反論する術を哀はもう持たず、新一の妄想を実行してみる。新一の身体ごと壁に寄り掛かり、今度は自分からキスをしかけると、新一の指が哀の耳に触れ、頬に触れ、それだけでとてつもなく胸が震えた。心は満たされているはずなのに、もっと欲しがってしまうのは、新一の中にある熱を知っているからだった。
 やっと触る事ができる。哀が新一にしがみついたのと同時に、ベッドの上に押し倒された。