5.ヒマワリの涙 -Sleeping terror-
海に果ては存在するのだろうか。
数日寝ていないせいか頭痛が増し、目に見えるもの全てが霞んでいた。呼吸をするにも一苦労で、この日々に終わりが来るのかすら見えない。
こんなにも未来に不安を抱くのは、二十三年間生きてきて初めての事だった。
新一はベッドに潜ったまま、自分の半生について考えた。思い返せば、幼い頃から両親から愛され、好奇心に応えてもらい、知識欲は満たされた。十七歳の頃には高校生探偵だともてはやされ、そこにアクシデントが起こったが、そこでも灰原哀という理解者にも出会えた。
新一は枕を抱えて寝返りを打った。伸びた前髪が目にかかり鬱陶しい。最後に散髪したのがいつだったのかすらあいまいだ。そもそも、今が何月何日かも分からない。ただ部屋の冷たさから、冬真っ最中である事だけは分かった。
あれからも、隣に住んでいる哀の気配を感じられた。そのたびにどうしようもなく飛び出したい衝動に駆られ、カーテンを握った。あの偽りの日々が楽しかった、なんて、どの口が言えるというのだろうか。元に戻りたいのだと彼女に無理をさせてしまったのは自分だというのに。
ベッドサイドに置かれた本に手を伸ばす。寝る間を惜しんででも欠かさなかった読書という行為も、今は無縁だ。ロサンゼルスに住んでいる父親が送ってくれた洋書は、まだ一度も開かれていない。両親は新一の状況を知らない。知らせようとも思わなかった。高校生の頃から離れて暮らしているせいか、新一は甘える方法を知らなかった。
海に果ては存在するのだろうか。この暗い視界はいつまで続くのだろうか。眠る事さえ許されない日々の中で、先はまだ見えない。
スマートフォンがけたたましく鳴り響き、新一は我に返った。混濁した意識から引き戻されたような感覚に、ひゅっと肺が痛んだ。
どこに端末にあるかすら分からず、新一は布団の中でもぞもぞと手を動かす。指に触れた固い感触の物体は、振動を示し、それがスマートフォンである事に気付くまで数秒を要した。
表示された着信相手を見て、新一はおそるおそる手に取る。
「もしもし……」
久しぶりに出した声は、想像以上にがさがさと濁って響いた。
『おはようさん、工藤。ちゃんと起きとるか?』
スピーカー越しに聞こえてきた関西弁の声に、新一はスマートフォンを耳元にあてながら再びベッドの上に寝転がる。
「服部……。何の用だ?」
『つれへん事言うなや。最近調子はどうや』
「最悪。全然眠れないし、吐き気も頭痛もひどい」
『病院行っとるんやろ? 薬とか飲んでへんのか?』
「飲んでる。肝治療薬と、吐き気止めと、……睡眠薬」
差支えない程度に新一が答えると、服部はそうか、とだけ返事をした。会話の流れでの質問なだけで、服部にとって新一の服用薬についてそこまで重要な事でもないのだろう。それでも、新一は一つの医薬品についてとっさに隠してしまい、後ろめたさにより咳払いをする。
『それより工藤。最近ニュースでやっとる医療関係者ばかりが殺されとる事件、知っとるか』
服部の話題が変わった事にほっとしながら、新一はベッドの上でゆっくりと起き上がる。
「悪いけど、テレビも全然見てねーんだ」
『工藤。あんまり家に籠ってばかりじゃおかしくなるで。俺が仕事の片手間に調査しとる事件やねんさかい、よかったら一緒にどうや?』
場所は関西、俺ん家の近くや、と服部は軽快に言う。
警察官として責務を果たす服部を、羨ましく思った。彼はこのまま刑事を目指すのだろう。新一は曖昧な返事を残し、通話を切った。スマートフォンを見て新一は目を見張る。いつの間にか暦は二月となっていた。
この日々に終わりがあるのだとしたら、動き出さなければならないのは自分自身であると新一は知っている。新一は枕元に置いてある薬を手に取った。通っている病院で処方された薬を飲もうと、裸足で階段を下りていく。
服部の誘いを受けようと思った。本来の自分を取り戻すためにも。