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3.ヒマワリの涙(後編)



 壁一面を本棚で敷き詰められた狭い室内で、キーボードを叩く音が響く。畳と古紙の匂いで満たされた六畳の和室、机のすぐ前にある窓からの光を感じ、新一は顔をあげた。日がのぼってからどのくらい時間が経っただろうか。指先を口元に近づけ、無精ひげがないことに気付く。そういえば休憩がてら、朝日が昇り始めた時間にすでにひげを剃ったことを思い出す。

「工藤君」

 リビングと隔てるふすまの向こうから、哀の声が響いた。

「工藤君、コーヒーを淹れたわ。調子はどう?」

 哀の質問に、新一は目の前に広げたノートパソコンのモニターを、かけた眼鏡のレンズ越しに見つめる。仕事の進捗は悪くない。体調も悪くない。椅子からゆっくり立ち上がり、ふすまを開けた。少し伸びた哀の髪の毛が後ろでまとめられていて、おくれ毛が耳元で踊っているようだった。
 彼女の髪の毛の感触を、新一は好きだ。

「まぁまぁ、かな」

 新一が答えると、哀はふっと笑って新一の頬に触れた。
 玄関横にあるキッチンからマグカップが運ばれてくる。新一はベッドの前に座り込み、テーブルに置かれたマグカップに手を伸ばす。一時期は受け付けなかったカフェインを、今は恋しい。

「三十歳おめでとう、工藤君」

 新一の隣で哀がつぶやき、新一はコーヒーを飲み込み、ゆっくりとマグカップをテーブルに置いた。西側のベランダの窓からは柔らかい光が部屋を照らす。大学に通う哀がこの数日ずっと家にいた理由を、新一はようやく知る。世間は五月の大型連休真っただ中、そして今日は五月四日だ。

「サンキュ」

 思わず微笑むと、哀は一瞬目を丸くした後、心のやり場を探すようにマグカップに手を伸ばした。新一は彼女の肩に頭を寄せる。この部屋で彼女と再会した時よりも、骨格が大人になった。それでも華奢な彼女は、いつだって簡単に壊れてしまいそうだ。

「ついに三十路か。あんまり実感ないけど」
「そんなものなんじゃない?」

 哀の手の感触を頭に感じ、新一は目を閉じた。窓の外では、近くの公園で遊ぶ子供達の声が響いている。

「ゆっくり生きていきましょう。私たちに未来はないのだから」

 哀の言葉に新一は目を開いた。顔をあげて哀を見下ろす。まっすぐに向けられた瞳の奥を探していく。

「未来がないのは俺だけだ。おまえには関係ない」

 初めて症状を自覚してから七年が経っていた。体調は悪くなり続けるわけでもなく、ただし快調である日は少なかった。高校生として過ごす哀を傍で眺めているうちに、気づけば彼女は大学生になっていた。

「関係あるわ。あなたが死ぬ時は私も同じよ」

 何度か吐かれた事のあるセリフとともに、唇にキスを落とされる。寝不足な頭ではその温もりの処理が追い付かず、唇が離れた隙に、今度は新一が攻防を逆転させるように指先で哀の耳元をなぞりながら、再びキスをした。