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5.希望の空



 ドアの閉まる音と共に新一は意識を取り戻した。こんなに熟睡したのはいつ以来だろうか。人と一緒に眠ることが苦手だと思っていたのに、なぜか志保の隣だと意識の中奥深くに引きずられ、それが妙に心地よかった。
 しかしすぐに違和感を取り戻す。

「志保…?」

 鼓膜の中に残る音に新一は勢いよく起き上がる。隣にあったはずの温もりがない事に気付き、気だるさは一瞬にして消え失せ、早打ちする心臓を抑えるように新一は窓のカーテンを開けた。朝日が眩しい。
 三階にある志保の部屋からはマンションの下の景色がよく見える。ちょうどこの部屋はエントランスの上に位置していて、目の前の通りをまだらに車が通っていく。
 エントランスの前に人影を見つける。時計を見るとまだ六時だというのに、早朝に女が二人。一人は志保だとすぐに分かった。もう一人は見覚えのある金髪だ。新一は枕元に置いてある眼鏡を手にとり、十年前から使っている機能で二人の姿を拡大する。
 やはり、金髪の女は例のクラブのナンバーワンホステスだ。
 なぜここに、と思ったのと同時に、黒いワンボックスがマンションの前に停まり、二人はその車に乗り込んだ。その光景に新一は舌打ちした。

「志保!」

 窓に向かって叫び、慌てて身支度を整えてマンションを駆け下りた。息を切らしながらエントランスを出ると、そこにはもう人影も車の姿もなかった。
 肩で息をしながら、新一は眼鏡に触れる。――落ち着け。自分に言い聞かせる。今までのようにすればいい。仕事に私情を持ちこむのは命取りだ。朝の涼しい風を浴びながら、何度か新一は瞳を閉じて深呼吸をし、空を見上げた。



 一度米花町の自宅に戻った後、新宿の繁華街の裏通りを歩いた。朝日を浴びてもどんよりとした空気が漂い、新一は手の甲で汗を拭った。
 志保の働くクラブと程近い場所にある古びたビルのドアを開けると、見覚えのある爽やかな青年が新一に気付き、座っていた黒いソファーからゆっくりと立ち上がった。

「やぁ、おはようございます。こんな朝から何かご用件でも?」

 夜に着る黒服姿とは真逆の、白いシャツにジーパンを合わせた彼は、カジュアルな格好だというのにどこか重々しさすら感じる。

「アポもなしに訪れてすみません、村上さん」

 新一がドアを開けたまま村上を見据えると、村上は本性を現したように喉を鳴らして笑った。

「それで何の用ですか、工藤様?」
「あなたに伺いたいことが少々」

 言いながら、村上の手元を視界に入れる。村上は経済新聞を握ったままだ。昨日クラブでは見かけなかった彼は、もう仕事をやめてしまったのだろうか。調べた通り、彼は株で得た収入で生計を立てている。わざわざボーイという過酷な仕事を続けなければならない身分でもない。
 新一は村上に促されるまま応接用にソファーに腰をかける。

「株売買の事なら、調べても無駄ですよ」

 古いコンクリートの匂いを放つ部屋の一角の簡素なキッチンでコーヒーを注ぎながら、村上はそう切り出した。

「これでも証拠は残していないつもりだ。僕の趣味が株だとかヒトミが何か言ったかもしれないけれど、そんなに甘ったれた覚悟じゃない」

 事務所に相応しくないほどの洒落たカップに注がれたコーヒーは、少し煮詰まったのか香りが悪く、新一は眉をひそめる。

「あなたがあのクラブで働いた理由は?」
「ああ!」

 村上は可笑しそうに笑い、不味そうなコーヒーを口に含み、新一を真正面から見つめた。

「ヒトミですよ。僕が目をつけていたある製薬会社の社長の愛人がヒトミだったんです」
「…宮野志保との繋がりは?」
「ミヤノシホ?」

 村上が首をかしげる様子を新一はじっと見つめる。

「誰ですか? この件と何か関係が?」
「とぼけないで下さい、村上さん」

 シラを切ろうとする村上に、新一は言い放つ。

「その製薬会社に目をつけていたなら知らないはずがない。彼女は今後発売になる予定の医薬品を開発した研究者です。その医薬品の発売の情報をあなたは売っていたんです。もしやその医薬品の副作用の事も知って、薬が裏ルートで出回っている事も知っていたんじゃないですか?」

 新一の有無を言わせない剣幕に、村上はただ眉をひそめたまま呆然と新一の顔を見つめていた。