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 偶然の再会から三日が経っていた。
 仕事帰り風のニットカーディガンに白いパンツを履いた蘭は新一に気付くなり眉をしかめて、黙ったまま新一をただ見つめている。当然だった。

「ごめん、蘭…」

 ガードレールに寄りかかりながら、新一はうなだれるようにつぶやく。

「この前はごめん…」
「何が、ごめんなの…?」

 硬い蘭の声に、新一はもう一度顔を上げる。蘭はゆっくりと新一の前に立ち、新一の顔に影が出来る。彼女に見下ろされているみたいだった。

「急に出会っちまって、…驚いて。どう話せばいいのか分からなかったし」
「ああやって逃げちゃうくらい、私の事が嫌いなの…?」

 無表情だった蘭の顔がみるみる歪み、今にも泣き出しそうになった。新一は慌てる。何よりもこの顔が新一は苦手だ。彼女を泣かせたくない。彼女にはいつも笑っていて欲しい。自分のエゴだと分かっていても。

「そんなわけねーだろ」

 ただの否定がぶっきらぼうになり、乱暴な口調になってしまうが、一度口をついた言葉は治まらない。

「嫌いになれたら苦労しねーよ…」

 いっそのこと嫌いになれたらよかった。最悪な別れを引きずって、彼女を最低な女だと罵って、憎んで、思い出す事もなくなるくらい嫌いになれたら楽だったのに。
 心はそんなに単純にはいかない。

「全部間違いだと思っていたんだ…」

 再び新一のすぐ後ろをトラックが大きな音を立てて通り過ぎる。ほんの少し地面が揺れる。



 ――危ない事はやめてよ新一。新一の名前に傷がついたらどうするの。

 蘭の言葉が新一を突き刺す。

 ――おまえには俺の事なんてきっと理解できねーよ。

 隠した時間の後ろめたさが蘭を遠ざける。



 それでも恋だった。高校生なりに、手を繋ぐことすら精一杯の、真剣な恋だったのだ。
 例え道が逸れても、それだけは変わらないと思った。
 蘭の涙が地面に落ちる。咄嗟に蘭を抱きしめようと手を伸ばしかけ、やめた。この場をおさめるだけの抱擁など、ただの同情にしかならない。

「ごめんね、新一…」

 手で涙を拭いながら、蘭が声をあげた。

「あの週刊誌…。今は全然連絡取ってない同じ高校の子がネタを売ったって後で聞いたの。私、新一の事をあんな風に悪くなんて言わない…」
「分かってるよ」

 思わず新一は息を漏らすように笑った。

「蘭がそんな事するわけねーって分かってる」
「でも、私が新一の事を分かってあげられなかった…。新一の傍にいたのに、新一が何を考えているのか分からなくて、でも私は新一の彼女でいたかったの…」

 不規則なリズムで滴が地面を濡らし、見かねた新一はゆっくりと立ち上がった。涙を流し続ける蘭の睫毛も頬もそれを拭う指先も全て濡れている。

「間違いだったなんて言わないで…」

 小さく叫ぶように嗚咽を漏らす彼女に、新一はハンカチを差し出す。蘭は泣き笑いのように表情を崩し、ありがとうとつぶやいた。



 どのくらい時間が経っただろう。
 二人はもう寄り添うこともなく、一定の距離を保ってガードレールに寄りかかったまま、気付いたら夜は迫って来ていて、すぐ横を走る車すべてのライトが時折眩しい。
 自分よりも背の低い蘭の髪の毛を見つめながら、この距離で手を差し伸べない自分自身に新一は驚いていた。彼女は涙を見せているのに。こんな時に、彼女とは全く別の、癖のかかった茶髪のボブカットを思い出す。

「この前ね…」

 鼻声で、蘭が口を開く。

「新一に出会った時、女の人と一緒にいたでしょ。一瞬、コナン君と哀ちゃんかと思って、焦っちゃった」

 目を伏せてハンカチを握りしめながら笑う蘭を見て、新一は生唾を飲み込んだ。もしかしたら蘭は、新一が必死に隠していた真実に辿りついているのかもしれないと思った。知っていて敢えて言わなかったのかもしれない。もしその推論が本当だとしたら、それを隠すことはどれだけ辛かっただろう。真実を問いただしたい衝動を抑えながら、彼女はいつも新一の前で微笑んでいたのだろうか。

「…あの人、事件関係の人なの?」
「ああ」
「でも、ほんとは大切な人?」

 もう新一と蘭は別れて半年経っている。それでも感情は簡単には消えないけれど、時間は少しずつ変化を見せる。蘭が何を思ってそれを聞くのか手に取るように分かり、新一は答えを探す。

「…捜査対象の人だよ」

 そして本当の事を述べると、予想外の答えだったのか蘭は瞳に驚愕の色を見せる。


 先日、アイの働いているクラブのスタッフの名簿を調べた。
 そこには宮野志保の名前はなく、代わりに灰原哀という名前があった。アイは偽名を使ってそのクラブで働いている。ますます濃くなる疑惑に、新一は途方に暮れた。