2.過ぎ去りし日々
看板のない探偵事務所でもその知名度により、新一にはたくさんの仕事が舞い込んで来る。
その合間を縫って、新一は例のクラブに通い続けることにした。遠い昔の相棒であるアイこと宮野志保がいたことは誤算だったが、考えようによっては好都合だった。”ただの遊び”を装ってクラブに通う以上、目当てのホステスがいないと逆に不自然だからだ。
二度目からは黒羽の手を借りなくても会員制のクラブに入ることができた。アイを指名すると、アイは驚愕した表情も見せずに、淡々と新一を見つめた。
「あなたも物好きね」
黒羽の許可もなく新一は彼のボトルをオーダーし、それを開けながらアイがつぶやく。
「まさかこの私をまた指名するなんて」
初めての時は黒いドレスを着ていた彼女だったが、二度目に出会った時の彼女は淡いブルーのドレスを身に纏っていた。ドレスによりスタイルの良さが滲み出ていて、それは予想の範疇ではあったが、思いがけずにどぎまぎしてしまった。
新一は異性に対しては淡白な方だと自覚している。それなりに恋心を理解しているし、一途に想いを貫いた経験もあるが、それはどこか現実味がなく、もしかしたら自分には何かの感情が欠落しているのかもしれないとさえ思っていた。万年新婚気分である両親を見ていれば何物にも代えられない愛というものが存在している事も頭では分かっているが、それが自分に降りかかって来ると思えるほど純粋ではない。
ウイスキーをグラスに注ぐアイの細い手首を見つめながら、今日もこの空調の下で冷えているのではないかと考える。実際自分は仕事があってこのクラブに通っているわけで、好みのホステスと疑似恋愛をしたいからではない。でもきっと、それがなくてもアイを一番に選ぶだろうと新一は思う。彼女にはナンバーワンであるヒトミのようなゴージャスさはないにしろ、透き通った白い肌に浮かぶ儚げな印象と共に、まっすぐな視線には凛とした強さを感じさせる。それは新一が過去に共に戦ったという記憶を持つからだろうか。
そんな調子で通いながらクラブの中の人間関係やボーイの人数などを把握した上、依頼者とも連絡を取り、情報を収集していった。きっと敏いアイも新一の目的を理解しているかもしれない。しかし黒羽に言ったように、彼女に協力を頼もうなんて考えてはいない。
それでも時々夢に見る。同じ視線で、たった二人だけで一つの世界を共有していた過去を思う。
「なぁ」
クラブに通い始めて三日ほど経った夜、ボーイの動きを観察しながら新一はさりげなくアイに訊ねた。
「何?」
「おまえ、なんでこの仕事してんだ?」
新一の言葉に、アイは眉をしかめた。ホステスの癖に彼女は滅多に笑顔を見せない。
「それを聞くのはルール違反よ」
さらりと流された問いは、氷が解ける音に消えた。隣のボックスからは頭悪そうなサラリーマン達とそれを受け答えするホステスの会話が聞こえる。初めて来た時から変わらないお香と煙草と香水の混じった匂いで眩暈がする。仕事で朝が早かったので、あまり眠っていないからかもしれない。
「でも、そうね。この仕事も奥が深いと思うわ」
上等なソファーに全身を預けていた新一が顔を上げると、アイは困ったような笑みをまっすぐに向けてきた。
「あなたは?」
「え?」
「お仕事、楽しい?」
緑がかった瞳に吸い込まれそうになる感覚に落ちいながら、新一は再びウイスキーの入ったロックグラスに視線を落とす。丸い氷には戸惑った自分の瞳が映る。
探偵になることを夢見ていた。幼い頃からそれしか見えていなかった。どんな境遇にいたって、例え毒薬を飲まされて別の人間に変わったって、探偵であることだけは否定できなかった。それが自分の一部なのだ。
「ねぇ、最近の事件の話を聞かせて」
アイは細い指で、ソファーに置かれた新一の手の甲をなぞる。それはホステスの一つのテクニックなのだと分かっていても、ドキリとした。こうして彼女達は男を落としていくのだろうか。
偏見を持つつもりはない。世の中の自然で、男と女の世界だ。それでもアイがそのように触れる事、感情ごと飲み込みそうな瞳で見つめる事に苛立ち、新一はその手を避ける。
苛立ったのは、彼女に色気を感じたからではない。それを向けられるのは自分だけではない事を理解していたからだ。