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 アイをアフター指名した事を黒羽に伝えると、黒羽は思い切り呆れた表情を見せた。

「工藤がプロ意識を持っている事は分かっているつもりだよ。でも知っている人がクラブで働いているからって、動揺しすぎじゃない?」

 何杯目かになるウイスキーのグラスを持ちながら、黒羽は言う。

「それとも、志保ちゃんに捜査協力でも頼むつもり?」
「いや…」
「工藤」

 言葉を濁す新一に、黒羽は厳しい表情で新一を見つめた。

「まだ蘭ちゃんとの事を引きずってるのか?」
「………」
「そう簡単に忘れられるわけねーのは分かるけどさ。でも俺は蘭ちゃんと同意見だからな」

 それは例の週刊誌が発売される前から黒羽に忠告されていた事だった。
 怪盗キッドと探偵工藤新一。本来であれば相容れないはずの二人がこうして素顔で出会ってしまったのは、新一が裏の仕事に携わることが多くなったからだ。新一がキッドの正体を明かさない代わりに、キッドは新一に協力をした。しかしキッドは言ったのだ。

 ――名探偵。俺はおまえにはまっとうな道を歩んで欲しいよ。

 満月の下で、仮面を外した彼の表情は少し寂しそうだった。

「そんなわけで。俺は明日も仕事だし、そろそろ帰るわ」

 今回黒羽に協力を願ったのは、会員制であるこのクラブに顔を出すためだった。しかし名も顔も知れた著名人の新一になれば、今後このクラブに出入りすることは簡単になるだろう。新一は黒羽に礼を言い、アイを待つ為に席に残った。すかさず他の席からヒトミが現れ、別れを惜しむ言葉を投げながら黒羽を見送っている。
 夜の計算し尽くされた空間は、事件現場の人間達が取り巻く空気に少し似ていて、後味が悪い。



 ひざ丈のスカートに淡い水色のニットカーディガンに着替えたアイは、とても水商売をしている女に見えなかった。
 新一がアイの手を取ると、アイはもう振りほどこうとしなかった。どこか行きたい店があるか訊ねると、アイは新一に任せると言ったので、新一は行きつけのバーにアイを連れた。

「それで? 私とこれ以上何を話そうと言うの?」

 バーで顔見知りのマスターにカクテルの注文をした後、隣に座ったアイが顔を傾けて新一を見上げた。挑発的な視線に胸が躍る。懐かしさを覚える。

「そう言うなよ。せっかく再会したんだ」
「ねぇ、その再会ネタ、引っ張るのやめてくれない? 私達は今日初めてあのクラブで出会った。そうでしょう?」

 乾杯もせずにアイはカクテルに口をつける。グラスについた口紅が妙に艶めき、新一は視線を逸らした。
 彼女を巻きこめないと思った。彼女が再会を認めないのと同じように、自分もただ一人の男としてあのクラブに顔を出した事にしよう。

「ハジメマシテ、だもんな。じゃあ色々聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「おまえの趣味って何?」
「…口説き下手な男みたいな質問やめてくれる?」

 アイは肩をすくめて笑い、変装用にかけていた新一の眼鏡をそっと外す。新一の記憶の中で彼女がこんな笑みをこぼしたことがあっただろうか。新一も思わずつられて笑ってしまった。
 計算だらけの世界と切り離された空間のように、彼女の隣が居心地いい。こんな感覚を味わったのはいつ以来だっただろう。

「おまえは? 俺に訊きたいことねーの?」

 新一が切り出すと、アイは少し考えてから、口を開いた。

「あなたが話したくなるまで待つわ」

 予想外の優しい声に、新一はカウンターに頭を伏せた。
 江戸川コナンという偽りの姿から工藤新一に戻り、同じように宮野志保に戻った彼女と別の道を歩いてから様々な事があった。その間に失ったものは数知れない。
 探偵でい続ける為に奔走してきた新一は、十年前の自分に対して現実味を抱けなくなっている。あの頃に戻りたいと願っても、世界が変わってしまったように、ひとつの道ではもう後戻りもできない。

「ちょっと工藤君、大丈夫?」

 伏せたまま顔を上げない新一に、アイが優しく肩を叩く。
 大丈夫なわけがあるか。不覚にも泣きそうになってしまって顔もあげられない。



 まだ夜は明けない。