「新一さんってさ、コナン君に似ていると思わない?」
哀は歩美の言葉の意図を考える。似ているって、一体何が。顔と言うのなら当然の話だった。年齢は違えど彼らは同一人物だ。ただ中身は、となってくると肯定しかねる部分もある。同一人物ではあるものの、今の新一には言わずもがな、江戸川コナンの記憶などない。
「…そうかしら」
コーヒーメーカーからは香ばしい焙煎された豆の香りが漂い、哀は先ほど歩美から受け取ったカップを両手で握りしめる。
「うん。歩美は似ていると思う。だから、哀ちゃんは好きになったんでしょ?」
歩美の言葉に、哀は今度こそ驚愕し、思わず落としそうになったカップを慌てて握り直し、調理台の上にそっと置く。
「好きって、何が…」
「新一さんの事、好きでしょ? だって哀ちゃん、コナン君を見ているような目で新一さんの事見てるもん」
怖くて歩美の顔を見る事ができない。歩美は勘違いしているのだと哀は思う。もし歩美の言う通り、コナンを見ていた時と同じような視線を送っていたのであれば、それは恋心のような淡いものではない。ただの経過観察であり、そこには情など挟んでいるつもりもなかった。
自分の中に存在した罪悪感を少しでも薄めたいという狡猾な感情が眠っていただけだ。それに気付かされ、哀は絶望しただけだ。
「新一さん、蘭お姉さんと別れたんだって」
ニュース番組のアナウンサーのような、感情のこもらない声で、歩美は淡々と告げた。
「昨日、偶然蘭お姉さんに出逢って、聞い…」
「――やめてよ!」
哀は両手で耳を塞ぐようにして叫んだ。顔を上げて初めて歩美の顔を見る。滅多に叫ぶ事のない哀を目の当たりにしたからか、歩美は青ざめた表情で哀を見つめた。でも昔と違って、泣き出しそうな表情ではない。
何かを見透かされたようなその表情に、哀の恐怖は募った。
「どうしたんですか!?」
「何があったんだよ!?」
すかさず現れた元太と光彦に、哀は我に返る。二人の後ろには、遠慮がちにキッチンを覗きこむ新一の姿があり、哀は咄嗟に顔を背けた。
「…歩美、帰る」
低い声でつぶやいた歩美が、哀に背を向けて、元太と光彦の間をすり抜け、リビングにあるアルバムもそのままに玄関を出て行った。ドアの音が重く鳴り響いた。
それから気まずい空気の中で、もう夕飯時という事もあり、元太と光彦も帰って行った。
「きっとすぐに仲直りして、元通りになっていますよ」
光彦が気を使って哀を励ましたが、何の気休めにもならなかった。
この状況をリビングのソファに座ったままたじろいでいた博士に、哀は謝った。
「ごめんなさい、博士。せっかく久しぶりにみんな集まったのに、こんな事になってしまって」
「いいんじゃよ、哀君。友達同士の喧嘩、結構。明日には素直に謝ってしまえば、より仲を深められるというものじゃ」
哀の淹れた緑茶を啜りながら、博士が微笑む。
そうか、これを喧嘩と呼ぶのか、と哀は今更気付く。これまで子供だと思っていた少女に対して恐怖を抱いてしまった事も、ただの喧嘩と呼べるのだろうか。
「そうだぞ、灰原。おまえは色々考えすぎなんだよ」
喧嘩の発端となった本人も、何も知らない事をいい事にのん気にコーヒーを啜っているものだから、哀は急に馬鹿らしくなってソファに背を預けた。
「それより、新一君。昨日もわざわざすまんかったな。今日も忙しいじゃろうに、見舞いまで来てもらって」
「何水臭せー事言ってんだよ。灰原もまだ小学生なんだし、もっと自分の身体大事にしろよな」
新一と博士はそれからしばしの間会話を続け、博士は少し疲れたから横になってくると言って寝室に入って行った。
リビングには新一と哀が取り残され、ちょっとした沈黙が走った。
「あのさ、灰原…」
沈黙を破ったのは新一だ。昨日の夜のようにソファで適度な距離をとって二人並んで、哀は新一を見上げ、話の続きを促した。
「俺、探偵事務所を設立しようと思って」
それは昔からの新一の目標だったはずだ。新一の報告に、哀は首をかしげる。
「どうしてそれを、私に言うの?」
「なんとなく…。おまえには報告しておこうと思って。今日もその準備をしていたんだ。来月には事務所の名前を使って仕事が出来るはずだ」
ここ最近、新一は「なんとなく」という単語をよく口にする。論理的に物事を考える人間の使う言葉ではない。彼らしくないことに哀が疑問を持っていると、それこそどことなくソワソワした新一が、意を決したようにぎゅっと手の平を膝の上で握り、哀を見た。
「俺、おまえに聞きたかった事があるんだ」
「…何」
「あのさ…。俺、おまえのお姉さんを見殺しにしちまったのかな」
新一の言葉に、それこそ歩美の科白を聞いた時以上に、哀の頭の中はまっしろになった。