蘭にロンドンでの告白について話された翌日の下校時、新一は蘭を呼び止めた。朝もそうだったが、蘭は何事もなかったような顔をして振り返る。それが彼女の精一杯の強がりに思えて、妙な罪悪感が胸の中を支配した。
一緒に帰ろうと彼女を誘い、いつものように鞄を抱えて蘭の隣で廊下を歩く。前代未聞な欠席を続けながら社会に貢献したとして、新一の長期欠席は咎められない代わりに大量の課題が出ていて、鞄は今日も大量のプリント類で重たく感じる。
蘭は今朝と同じように、他愛のない話をし続けている。核心に触れるのを怖がって逸らしているその感情は、今の新一にはよく理解できた。
靴を履き替えて、今朝に来た道を後戻りする。
「蘭」
話の区切りのいいところで、新一は立ち止まって蘭を見た。つられて蘭も立ち止まり、眉を潜めて新一を見上げる。明るい話をしながら、何でもない振りをしながら、彼女はこんなにも傷ついていた。
博士や服部の言う通り、彼女を待たせて傷つけたのは自分だ。
「覚えていないわけじゃないんだ」
するりと喉元から嘘が出ることが初めてではないような気がして、むしろそれは日常の中の一部に溶け込み積もり積もった罪にも思えて、それについては思ったよりも罪悪感を抱かない事に驚きながら、新一は言葉を続ける。それでも、幼い頃から背負った感情に嘘はないと思った。
「蘭の事が好きだよ」
新一が言うと、蘭は数秒ほど息を止めたかのように表情を固めた後、ゆっくりとうつむき、そして小さく泣いた。
結局何を言っても彼女を泣かせてしまうんだ。こんな光景は日頃から見ていたように思えて、新一は蘭の肩を抱いた。
昨日とは違って泣き出した蘭も最後には嬉しそうに笑って、ありがとう新一、とつぶやいた。私も好きだよ、と言われ、新一の中で高揚感が募る。
自分は何も失っていないのだと、新一は安心する。この笑顔の為に生きていける気がした。
蘭を自宅に送り届けてから、新一は空を見上げながら帰路を辿る。また一日が終わろうとしている。十八年間生きてきて、たった半年を失ったくらいで人間は変わらないように思った。
工藤邸や阿笠邸の並ぶ通りにさしかかると、阿笠邸の前に三つのランドセルが見え、あの子達だ、と新一は声をかけた。
「こんにちは」
工藤邸の前に立って三人を見ると、三人は今初めて気付いたように新一を見上げた。
「新一さん、こんにちは」
「灰原さんのお見舞い?」
三人の中の少女が持っているプリント類に気付き、新一が言うと、少女はうなずいた。
「そうなの。今日こそは哀ちゃんに会いたくて」
彼女は吉田歩美、と名乗った。そして年齢の割に背が高くて横にも大きい少年は小嶋元太、知的そうな話し方をするそばかすが印象的な少年が円谷光彦。
歩美の持つプリントに視線を落としながら、新一の脳裏に昔の情景が浮かび上がった。新一もよく推理小説を読む為にこっそりと学校をズル休みしては、母親に見つかって叱られ、父親になだめられ、幼馴染の蘭に呆れられた。でもこんな風に友達と呼べる存在が家まで足を運んでくれたことがあっただろうか。蘭以外に、いなかった。
灰原哀を羨ましく思った。年齢不相応な態度の彼女をこんなに心配してくれる友達の存在を。
「会えるといいな」
オウム返しのように簡潔な言葉しか返せない新一に対しても、三人は特に不審な目を向けず、阿笠邸へ入って行った。
最後に彼女に会ったのはもう一週間前になる。つまり新一が目覚めた日に、阿笠博士と二人で工藤邸にやって来た日だ。
新一の状況を博士が説明する間、哀は何か言いたそうな顔をしながらじっと静かにその横に座っていた。時々新一が哀に視線を向けると、哀は咄嗟に目線を逸らし、俯いた。睫毛の影がとても綺麗だとその時新一は思った。
その小さな体の中に何かを隠しているように見えた。しかし暴けるはずもなかった。彼女はただの小学生だ。
その夜、奇妙な夢を見た。
「ねぇ、どうして」
新一の胸に縋って泣くのは、蘭ではなかった。――灰原哀だ。
どうして、と疑問を投げかけながら、彼女はただ涙を流した。不思議な事に、彼女と自分の身長差がない事に新一は気付く。遠慮しているのか、それとも親しい仲ではないからか、彼女は新一のポロシャツの裾を握ったまま泣き続け、新一も手を差し出すことなく、その状況に困惑した。
蘭が泣いた時とは違う感情が、小さく生まれた。