新一が不在だった間に蘭が新一の帰りをずっと待っていたのだと阿笠博士から聞いた。そして同様の事を、関西弁を喋る自称親友の男も言っていた。
『それにしても工藤、おまえが戻って一番嬉しいんはあの姉ちゃんやろな』
後でかけ直すと言った通り、西の高校生探偵は同じ日の夜に新一に電話をかけるなり、何かを祝うような軽快な口調でそう言った。服部という男も蘭の事をよく知っている口ぶりだった。もしや妙な仲になってやしないだろうな、と新一は顔も知らない男を疑いながら受話器の向こう側に話した。
「あのさ…。ちょっと教えて欲しいんだけど、俺が最後に解決した事件って何だったっけ…?」
そもそも新一が米花町に帰って来られなかったのは、大きな事件の解決に時間をかけていたせいだ。でも新一の所持するものからそれらを記録されているものは一切見当たらず、それが奇妙だった。携帯電話の履歴も、一ヵ月前より過去のものは全て消去されている。まるでそれ以前に存在していた自分を消し去ったかのように。
『ちょっとおまえ、それ本気で言っとるんか?』
焦った様子で服部が受話器の声で怪訝につぶやいた。
『さっきもちょっと思ったけど、工藤、おまえ様子がおかしいで。何かあったんか?』
「別に、何もないけれど。おまえも探偵だから分かると思うけど、思い出せない事件の一つや二つくらいあるだろ?」
『いや、そうやけど、あの事件を思い出せないわけないやろ』
受話器を通じて気まずい沈黙が流れ、そして服部がため息をついたのが聞こえた。
『まさかとは思うけど、おまえ、思い出せへんのは最後の事件だけちゃうやろな?』
「………」
さすがは探偵だと、こんな時なのに新一はぼんやりと思った。
様子がおかしい事とは蘭にも指摘されている。でもそれ以外の誰も、新一の異変には気付いていないし、長い付き合いである蘭でさえどうにか誤魔化せている。
『俺に電話してきたのは携帯の履歴が多いからやろ。おまえは俺に対してもっと容赦ないはずや。他人行儀の工藤なんて気持ち悪いわ』
「気持ち悪いって…」
話を逸らすように笑い声をたててみるが、誤魔化せる相手ではないらしい。
こう見えても自分は簡単には心を開かないと自負している。だから親友と呼べる存在もこれまで皆無で、親しく付き合えたのも蘭だけで、他のクラスメイトとはそれなりの距離を置いていた。そんな自分がたった一ヵ月の間にこれだけ履歴が残るくらいの付き合いをしているのだから、この西の高校生探偵の事は信用してもいいのではないか。
そこまで考えた時。
『あのちっこい姉ちゃんは、おまえのその状況を知っとるんか?』
「…ちっこい姉ちゃん?」
『灰原哀っていう姉ちゃんや。阿笠のじいさんの所に住んどる…。まさかおまえ、それも…?』
服部の言葉に、一週間前に二度だけ会った少女が再び浮かんだ。こんな遠く離れた高校生探偵から彼女の話を聞く事になるとは思いもしなかった。
「灰原さんを知ってるのか?」
『またけったいな呼び方しとるなぁ。頼むから俺の事を“服部君”って呼ぶのは勘弁な』
「俺、おまえの事なんて呼んでた?」
『気持ち悪いこと言うなや。普通に名字で呼び捨てや』
神妙な声ながらも服部が笑ってくれたので、新一もつられて笑った。これまで関西人の知り合いはいなかったように思うが、彼と話すテンポは新一にとって心地よく感じた。
「そうだな…。服部、おまえの言う通り、俺は一部の記憶がイカレてしまったらしい」
観念したようにソファーに寄りかかりながら新一がつぶやくと、服部はそうか、と答えた。
『でも、あの毛利の姉ちゃんのことは忘れてないんやろ?』
「蘭の事か? …おまえ何でも知ってるんだな」
『当然や。この半年の間、おまえがどんな思いをしていたかも知っているし、結果的にあの姉ちゃんを待たせてしまった事になったけれど、これから挽回できるはずや。おまえは何も悪くない事を俺はよう分かっとる』
本当に新一の事を全て知っているような言い方だった。
「なぁ、なんでさっき灰原さんの名前が出て来たんだ? ただの小学生と俺がそんなに親しいとは思えないんだけど」
新一のこの状況をまるで灰原哀が案じているような服部の口調が引っかかっている。新一の言葉に、服部は少しの間口を閉ざした後、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『それは、俺の口からはよう言えんわ。工藤、おまえも探偵なら、おまえが真実を見つけるのが筋やろ』
「…そうか」
これまで、謎というものは新一の好奇心を刺激するもので、新一にとってスパイスのようなものだった。子供のようにわくわくした感情を残しながらも、どこか冷めた目でその現実を見ていた。
でも、実際に大きな謎が自分に降りかかり、今の新一は身動きがとれない。これまでのように好奇心はあるものの、失われた真実を掴む事を恐怖に思い、そんな自分を新一は恥じた。こんなに臆病な自分を、新一は知らなかった。
一歩間違えれば大惨事になるようなギリギリの上での緊張感と興奮と恐怖と冷静さの狭間で、新一は生きている。
服部に礼を言って携帯電話を放り出し、ソファーにもたれた。謎はありふれている。まだパズルのピースは埋まらない。